愛猫


「いいかげんにしてよ」

思わず出た言葉は、ふわふわ宙を漂ってもちろん彼は受け止めてはくれないで、あたしでももてあましちゃうほどで。ああ、どうしよう。もう終わった。終わってしまった。

「じゃ、いい」

彼は憮然としてあたしに平手打ちを送り、部屋を出て行った。涙も出てこない。
大体なによ。女を叩くってなによ。ふざけないでよ。
にゃあ、と、エルが足にすりよってきた。エルは灰色の猫。けれど光の加減でたまに青く見える。もとはといえば、彼が拾ってきた猫だった。けど、彼のアパートでは飼えないというからあたしのアパートで飼ってたのに。
エルに恨みはない。全然ない。全くない。だけど、エルがあたしの傍にいては、あたしは幸せになれない。
そんな突拍子もない考えがあたしを貫く。

「ほら、どっかいって」

エルにつけた赤い首輪をとって、ベランダに出した。エルの背中には彼と撮った写真をまきつけてある。ここは二階だから、この高さから落ちても猫は大丈夫だろう。柵に立たせるとエルは上手いもので、バランスをとってつとつと歩いていく。
そのうち、柵もなくなって、屋根に飛びうつり、隣の部屋のベランダをわたり―という間に見えなくなった。

ああ、なんて早いもんなんだ。恋も思い出も、さっと消えていく。それを作るまでは大変なのに。
たぶん、彼は知らなかったはずだ。どうしてエルっていう名前なのか。そんな陳腐な理由を。

あたしはそのままベランダの柵にもたれてタバコをふかした。
そういえば、彼はタバコをふかすのをいやがったな、なんて思いながら。

END

 

inserted by FC2 system