Double Ring



「この傘、瀬田さんのじゃないよね」

マナが家から出るときに、下駄箱の上にある折りたたみ傘を指さした。

「ああ、これ、この間仕事にいったときに会社の人が貸してくれたんだ」

歳のわりには若く見えた紳士を思い出す。その人のおかげで、君と相合い傘ができたとまでは言うまい。
名前は何といっただろう。マナを送り出してからパソコンに向き直り、じっと考える。ふと、傘を貸してくれたその人が話しかけていた女子高生も共に思いだした。どんな関係なのだろう。
キーを打つ手をしばしばとめて、こんな風に考えるのは瀬田にとって久しぶりのことだった。来週の木曜にまたあの会社に出向くから、そのときに返そう。

「あの…藤本さん、いらっしゃいますか」

仕事が終わったころには昼過ぎで、社内は閑散としていた。営業一課を尋ねてもやはり人はまばらだった。近くに座るOLに声をかける。愛想のよいその彼女は暫く考えるようにしてから口をひらいた。

「藤本は、この課には二人おりますが」
「あ…えーと…悟さんの方です」
「課長ですね」
「はあ」

よく理解もしないうちに頷いた。

「すみません」

藤本を探しに行ってくれたOLはいかにも申し訳なさそうに顔を歪めた。

「藤本はただ今、外しておりまして…何か言付けなさいますか?」
「あ、いや、いいんです。急ぎではないので」
「では、せめてお名前でも」
「いや、本当に、いいです」

逃げるように立ち去った。



「ちょっと、君」

一階の受付前でよびとめられた。聞き覚えのある声で、瀬田にもそれが誰だかすぐにわかった。

「瀬田くん、だったよね」

案の定藤本だった。

「あ、はい、先日はどうも」

瀬田がそう言うと、藤本は一瞬わかっていないようだったがすぐに微笑んだ

「わざわざ傘を?」
「はあ」

かばんから折り畳み傘をとりだして藤本に手渡すと、彼は声をたてて笑った。受付前のロビーは吹き抜けで、人も閑散としているから、よく声が響く。

「な、にか?」
「いや、こんなご時勢に折り畳み傘一本を届けにきてくれるとは、うれしいね。今日は仕事だったの?君、お昼まだ?」
「はい、プログラムの最終調整で。お昼は、まだ、です」
「私もまだなんだ、よかったら一緒にどう?」
「いや、でも―」

答える前に、藤本は瀬田の先を歩いていく。にこりと笑って振り向いた。

「年の所為かな、君みたいな誠実な青年にあうと気分がいい。おごらせてくれよ」
「はあ」


「二十代か、のわりには落ち着いてるって言われないかい」
「たまに」

うどんをすすりながら、瀬田がぎくしゃくと言葉を発していた。それでも、藤本は気にしていないのかにこにことした調子で、話題をちらほらと振ってくる。
マナと共にすごすと沈黙が多く、仕事もほとんどを家でこなすので、自分よりも年上の人間と、こうして仕事が介入してこない場で話すのは、いつぶりだろう。少し緊張しながらも、反面、少しうれしく思う自分が恥ずかしい。
結局、半ば強引に会社の近くの定食屋につれていかれ、きつねうどんを二人とも注文した。藤本がおすすめだから、と言ったからだ。外食も久しぶりだと、つゆをいっぱいに吸い込んだ揚げを口に含み、湯気にくすぐったさを覚える。


「あの」
「うん?」
「藤本さん、ですよね」
「うん、藤本だよ」

笑顔。
だんだん、この年の割りには若く見える男の笑顔にも慣れてきた。しかし、おそらく彼の笑顔は営業で培ったものなのだろう。片時も崩れることがない。もしかしたら、こういった人間のほうが腹に一物抱えているのかもしれない、と瀬田は思う。
ふと浮かぶ女子高生の姿。

「あの、雨の日に、女子高生と一緒に帰ってました、よね。娘さんですか?」

思わずと言っていいのか、しかし意識の隅に女子高生は確かに浮かんでいたけれどもまさかこの自分の口が尋ねるとは思っていなかった。そして、瀬田は、できるならもうあと五秒、自分の口が動く前に戻りたいと心底願う。藤本の顔が固まっている。微笑みはきえていないが、しかしそれは硬直というにふさわしい。

「見られてた、か」
「すみません、別に赤の他人の僕が聞くようなことじゃないってわかってるんです。でもなんか、どうしても、たずねたくなってしまって、すみません、答えろなんて言いませんから―」
「いや」

藤本は急に真剣な顔になり、そばにあった緑茶に手を伸ばした。瀬田もつられてて緑茶を含んだ。少し渋くて、中途半端にさめたそれはなぜだかちょうどよく、舌を落ち着かせた。

「赤の他人の君になら、話してもいいかな。私もそろそろ疲れてきたな」

ふっと、苦笑いになる。きっと、これが彼の本当の表情なのだろうと、勝手に思い込む。

「私と彼女―マキはね、男と女の関係だ。もちろん、私には家庭があるし、彼女だってまだ高校生だけれどね。あの日は、君に折り畳み傘を貸したのは、年柄もなく彼女と相合傘できると思って。馬鹿だろう。この年になって、こんな恋愛に現を抜かしているなんて、自分がおもしろい。けれど、彼女に、それほどの魅力があるといってもいい。不思議とね、罪悪感もない。落ちるところまで、落ちてみても、いいのかと思うよ」

瀬田は、言葉を捜すがなかなか出てこない。きっと藤本はなんの言葉も待っていないだろうが、ここで何かを言わなくてはだめだ。自分は、その言葉をきっと知っているはずなのに。
その間に雨が降り始めたのだろう。店に入ってきた客の髪の毛から、しずくが滴っている。扉の向こうのとおりでも、人々が走り出したのが見て取れた。藤本も気づいたのか立ち上がった。

「本降りにならないうちに、行こうか」
「そうですね」

外に出る。雨の所為で、空気が冷たくなっていた。

「なんだろう、私たちは雨に縁があるのかもしれない。傘は、どうする?」

一本だけの折り畳み傘を、藤本が差し出す。

「僕は、いいです。この間借りましたし。きっともう、返しに来れません」
「それもそうかな。せっかく、話し友達ができると思ったんだけどね」
「ははは」

やはり藤本は微笑んでいる。営業用ではないように思える。

「藤本さん」
「何だい?」
「僕には・・・」

マナの顔が浮かぶ。
マナは今日、うちにくるだろうか。僕らもきっと、馬鹿な恋愛しているのかもしれないね、案外。

「傘は、いらないんです。傘があっては、だめになることもあるから」
「傘があっては、だめになること、か」
「でも、傘がなければ、だめになることも、あると思います」

藤本は言葉の意味を考えているのだろう。じっと黙っている。

「じゃあ、最後に一つ聞かせてくれないか」

瀬田が顔を向けると、藤本は正面を向いていた。その横顔は、年相応のものに見えた。

「君はこの傘で、恋人と相合傘、したかい?」

歩き出しながら、振り返り、自分でも考えないうちに微笑んだ。

「しましたよ。だからもう、いいんです」
「よかった」

藤本も傘をさしながら、歩き出す。
物語の輪が、重なることはもうない。


END

***
本当にごめんなさい…!妄想もいいとこで…!
というか私は書いててどきどきしてました。もしかしてこれってBLにとられかねない!?
と、いいつつこっちとしはウハウハでしたけれども(殴

話的には「Love Ring」と「眩暈」のコラボ小説「Rain's Ring」の続編です。

さおりさんに勝手に送り付けました(´`)
勝手に暴走してしまい申し訳ありませんでした。
本当はマナとマキの絡みも書きたかったのですが、そんな暴挙にはさすがに出られません。

「Love Ring」の本編はコチラ
さおりさんのサイト「9」はコチラ

 

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