イナとダイヤ
よう、と声をかけられ驚いて振り向くとダイヤが立っていた。
病院で言うなら緊急搬入口みたいな扉が、保健室にはついている。とってつけたみたいなスチールの安っぽい扉で、ちょうつがいのところが錆びているらしく開けるたびにキイキイとうるさい。その扉を半分ほどあけて、ダイヤは中を伺うようにしている。紫色の半袖のTシャツ、黒と白のチェック柄のストールを首巻き、カーキ色のカーゴパンツ姿だった。全て少しオーバーサイズなのか、大体ダイヤが小柄かTシャツもパンツも少したぼついていた。
「マヌケな顔しるぜ、穂積センセ」
「うるせえよ死にぞこない」
その言葉にダイヤはけたけた笑った。
彼にはひどく、スチールの安っぽい扉が似合う。金属に反射している太陽の光を浴びているからか、ダイヤの肌はいやに白く見え、脆弱な雰囲気だ。それもそのはず、つい二週間前に彼は、恋人(という間がらと言っていいのかわからないが、世に言う「恋人」の定義はだいたい満たしている)であるイナに殺されかけたわけだから、病み上がりというか死に上がりというか。それから会ってはいなかったものの、とりあえずこうしてやってきたということは生きていたということだ。
誘い入れたわけでもないが、ダイヤは中に入ってきて、室内を一周すると、三つ並んだベッドの真ん中に腰を落ち着けた。
「穂積って、あんまり白衣似合わないな。大体、まだ白衣を着るホケンのセンセーって生き残ってたんだ」
「うるせえな。勝手に来てほざくな。お前がまずここに場違いなんだよ」
彼はまた笑う。珍しく上機嫌だ。彼らの部屋に行くと、大体イナかダイヤしかいなくて、とくにダイヤは無表情でいた。俺がキスをしても、服をぬがしてみても、拒否すらせずに。あの部屋には遮光カーテンもなく、夏場はそのままのキツイ陽光が差し込んでいて、クーラーがきいていてもなんとなく暑かった。そこにダイヤがいくら涼しいぐらいの無表情でいても、どことなく攻撃的な感じがしたが、今はどうだろう。
深夜、イナから久しぶりに電話があったのだが、最悪の内容だった。
「ダイヤのこと、殺したかもしんねえや」
悪びれてもない声。笑いさえも含んでいた。
まさかイナが本当に人を殺すとは。鳥肌もたっていた。部屋に入って、そこにダイヤの(どんな風に殺されているのかはわからないが)死体があったら、すぐに警察に電話をしようと携帯を握り締めたまま、ドアをあけた。
「イナ」
「おお、来たか。思ったより早かったな」
「お前、殺したって本当かよ」
玄関で靴を脱ぐのももどかしい。あわてて中に飛び込むとすぐ左を向き、正面にある冷蔵庫の横のドアから、ぐっしょり濡れて白目を向いているダイヤが倒れているのを見つけた。イナは台所のシンクにもたれて俺の様子を微動だにせず見ていた。タバコを優雅に吸っている。
横たわるダイヤの顔を覗き込んで、すぐにわかった。死んでない。顔色は確かに悪いが、気を失っているだけのようだ。
台所のいるイナを振り返る。
「生きてるんじゃねえか」
「俺も殺したと思ったけどな。気絶したみたいだ」
「気絶って…お前どんなことしたんだよ」
「さあ。お前が聞いても気絶するかもな?」
イナは口端をゆがめて笑った。爬虫類じみた笑いだと思う。クォーターだと、どこかで聞いたが、彼のはしばみ色の瞳はどことなく蛇を思わせる。見開いたときの、虹彩が縮む感じだとか、そういうのが獲物を狙っているときの蛇みたいだ。
彼はタバコをシンクに押し付け、こっちにやってきた。その動きを目で追っていて思ったが、ごちゃごちゃしていたはずの部屋が、かなりさっぱり、というかテレビとか小さなちゃぶ台、そしてダイヤが寝ているベッド以外にものがなくなっていた。そして、今までなかったはずの遮光カーテンが綺麗にかかっている。今は夜中でよくわからないが、昼間のこの部屋の印象はもっと変わっているだろうと思われた。
イナはそっとダイヤの額に手をやる。
雰囲気ががらりと変わった部屋でだからだろうか、今までイナがダイヤに触れるところを見たことがないわけじゃない。だが、こんなにも優しくまるで本当に、好き同士の恋人みたいに、触れることなんかあっただろうか?
その後、イナはダイヤを俺に任せてバイトに行った。コンビニのバイトだから深夜のシフトに入っていることも珍しくない。
イナが出て行った後、ベッドにもたれたまま俺は寝ていた。昼前に目が覚めて、座ったまま寝てしまったからか腰がひどく痛かった。多少うなされていたダイヤは昼過ぎに目を覚ました。イナはまだ帰ってこない。ダイヤはというととくに何かを言うこともなく、静かに部屋を見回したりだとか少し考えている風だった。やはり、遮光カーテンのかかった昼間の部屋は、やわらかい光が差し込んでいて、たとえば、俺がいつもぼんやりと座って書類を書くときの保健室に似ている、と思った。
「で、なにしにきた?」
そう尋ねるとああ、とダイヤは頷いて少し黙ってから口を開いた。
「引っ越すことにした」
「なんでまた急に」
「さあ。俺、朝起きたら部屋にベッドしかなくて、イナが笑ってただけだから」
あいつのやりそうなことだ。ダイヤさえもイナのことはよくわからないらしい。
逆に、イナという男のことを理解できるやつなんかいるのだろうか。出会ったときから今まで、理解できたことなど一度もない。自分と付き合う奴の体に平気で傷をつけるし、体を売らせる。とか言う俺も、一度だけイナの女を抱いたことがあるが、全身傷だらけだった。イナとの付き合いがなくなった彼らは決まって行方不明になるし、気味が悪い。人間らしい感情なんか全部抜け落ちてるような、はしばみ色の目。
だが一度だけ、イナのことが人間らしく思えたときがある。ダイヤの服を脱がしたとき、彼の体には全く傷がなかった。切り傷や痣、火傷の痕みたいなもの全て。ダイヤのことを大事にしているんだと、直感的に思って、ダイヤには手を出さなかった。あいつが大事にするものがあるとは。
「ダイヤも行くんだろ」
「住むとこねえしな。それに−」
「遅ぇよ」
イナがスチールの扉から入ってくる。キイ、と遠慮がちに鳴った。彼のトレードマークであった銀髪は短く刈られていて、色も赤茶色になっていた。上背があり、スタイルもよいのでモデルみたいだ。相変わらずの目付きだが。黒いタートルネックに、シンプルな細身のデニム、裾をブーツにつっこんでいる。
イナは土足で上がり込んでくると、ダイヤの腕を掴んで立ち上がらせる。ダイヤはまるで人形のようにふわふわした足取りだ。踊っているようにも見えなくはない。二人そろうところをこれだけまじまじと見たのは初めてだったかもしれない。イナが歩くたび、ブーツがリノリウムの床にあたってがしんがしんと、重々しい音がする。
「イナ、土足であがんな」
「小せぇこと気にすんなよ。せんせ」
彼らはぎこちなく支え合っている操り人形みたいに歩き、スチールのドアから出ていく。が、ダイヤが不意に思い出したように中に引き返してきた。ポケットから何かをとりだし、俺に無理に受け取らせる。握ったことのあるようなないような硬質感と、大きさが未知だ。開きながら掌を見つめてみる。白い、ころころした二つの粒。よくよく見ないとわからないが、それは誰かの歯茎に収まっているべきはずの歯だった。
「な、何だよ?」
「いらねえから、やるよ」
「俺だっていらねえよ」
一度出ていて、先に行っていたはずのイナがまた戻ってきてダイヤの頭の上から顔を覗かせた。
「いつのだったか忘れたけど、財布に入ってた。授業とかに使えや」
「あほか。こんなもん使えるかよ」
イナは笑う。ダイヤも愉快そうに口角をあげた。
「けどさ、穂積」
ダイヤが手をひらひら振る。
「人間、使えるのなんて自分の体だけなんだってことだよ。つまりその歯も、体の一部ってことは誰かの道具を奪って俺たちは道具を手にしたってことでさ。わかる?殺意も愛情も、体一個しか使えねえんだから、その歯だって一杯の殺意も愛情も、性欲だってつまってんだ」
「意味、わかんねえよ」
「つまりさ、ちんこおったつうちにヤっとけって話だよ。じゃあな」
二人はスチールの扉を閉めた。正方形の窓が上方についていて、二人の頭が遠ざかるとすぐに見えなくなった。手のひらにはころころと震える白い二つの歯が乗っている。においをかいでみた。生臭いような、何もにおいがしないような、よくわからない。
「せんせえー」
はっとして振り返る。体操着を来た女子生徒が、ひざをすりむいたらしく足を引きずって入ってきた。赤い血がわずかにひざから垂れている。歯を机の上にあるペン立ての中にいれると、消毒液なんかの乗った小さなワゴンを引き寄せて生徒を丸イスに座らせた。
今は五時限目、どこの教室でも授業をやっている。あいつらが来たことが異質だったのだ。
「陸上競技でもやってたのか?」
「走り幅跳び。ホップステップとか言ってたら、思いっきりこけちゃった」
「バカだな」
消毒液を浸したガーゼで砂と血を拭いてやる。わずかに産毛の生えている、すらりとした足はきっと将来、幾人もの男によって開かれるのだと思うと複雑な気がした。
ダイヤの言葉を思い出す。
「体、大事にしろよ。お前さ、体って道具なんだから」
「ええ、何それえ。なんかエンコーしてるって言ってるみたいだよ?せんせえ」
「語尾を延ばすな、語尾を」
女子生徒はけらけら笑った。
俺はぼんやり、ダイヤの本名をとうとう知ることはなく、もうこれから先、会わないような気がしていた。
手元に残ったのは、愛と憎しみと性欲の詰まった二つの歯だけ。
END
―あとがきのようなもの―
長かった…まさかの10話…あほか…私はあほか…
イナとダイヤ、生まれたのは私が中学二年のころだったと思います。
ので、たぶん五年ぐらい前。その頃は私が腐女子絶頂期だったので
とにかくエロイ二人、やりまくる二人、とか思っていました(遠い目
だけどいつのまにか、私は二人のことばかり考えていて
いつのまにか気持ち悪い話に展開していたのでした。
やっぱり、長い時間かけて書いているし、途中で何度か放棄しいるし
いろんなところで食い違いが生じたりだとか
書き方もけっこう変わったりだとかして、くじけそうになったのですが
こういう終わり方になったのは、私はまあ必然だったのかとも思うけれど
でも、イナとダイヤはどこかでまだ暮らすし、はちゃめちゃだと思います。
こいつらについてはまだ、どエロの番外編を書きたいので
そっちにお付き合いくださる方はよろしくお願いします←
ご意見ご感想、いつでもお待ちしております。
2009 2.22 こんにゃく 拝