Last Ring



一目惚れだった。
ロングヘアで落ち着いた物腰。とても同い年には見えなくて、それが魅力的だった。ライバルは何人もいたし、もちろん告白も駄目元だったけ付き合うことが決まったとき、どんなに嬉しかったか。


それを聞いた雅博(まさひろ)は呆れた顔をして、空になった紙コップでテーブルを叩く。コップの中の氷だけが虚しくガシャガシャ鳴った。

「卓也って馬鹿なのか盲目なのか本ッ当わかんねえ。あ、馬鹿と盲目って同義語か?」
「雅博、お前何言ってるかわかんないよ」
「とにかく、明日はお前と里中とフジモトさんって奴と一緒に話すんだろ?そんな悠長に構えてていいわけ?」

よくない、とストローをくわえながら言ったから雅博には聞こえなかったらしい。聞き返すこともなく、彼は時間がたってぐにゃりとしたフライドポテトを食べている。まるで俺みたいだ、とため息が出た。
 

マキが浮気をしていた、と聞いたのは一ヶ月前。

今、目の前でつまらなそうにポテトを食べる雅博から聞いた。サラリーマン風の男とビジネスホテルから出て来るのをたまたま見かけたらしい。もちろん彼女本人にも尋ねると、否定することなくむしろ気持ち良いほどはっきりと認めた。俺はそのサラリーマン−フジモトさんと別れてくれと頼んだけれど、マキは、俺から気持ちは離れてるから別れて欲しいと頼んできた。 何を言っているのか把握できなかったと言っていい。馬鹿かもしれないが、マキには絶対の信頼を寄せていたし、なにより彼女が大好きだった。それを予想外のあっさりさで裏切られた。信じようにもマキが呆れるほどすっきり言ってのけたので本当は嘘じゃないかと思ったぐらいだ。 もちろんこの一ヶ月、彼女に何度となくフジモトさんと別れてほしいと繰り返したが無駄でその話を切り出すと、私と別れてほしいと言うし、最近では俺の顔を見るとすぐに逃げてしまっていた。
 

そんな彼女からメールがきたのは一週間前。話がしたい、と言う。俺は急いで電話をかけた。

「話って何?」
「電話って意味じゃないんだけど…三人で一度話をしない?」

久しぶりに聞いた彼女の声は、やっぱり俺の好きな落ち着いた声だった。

「三人って?」
「私と、タクと…」
「フジモトさん」
「うん。彼が会いたいって。話がしたいって言うから。ねぇ、タク」

マキの口調がより一層おとなびて聞こえた。なんとなくフジモトさんと一緒にいるときの彼女を想像する。

「私は、酷いよ。タクには何度も言ってるけど、私はタクと別れたい気持ちは変わってないの。いくら藤本さんには奥さんがいても、それはわかった上で付き合ってる。結婚なんか望まない」

興奮してきたのか、彼女の声は次第に上擦ってきた。

「何が、いいの?フジモトさんの」
「私を愛してるとこ」

俺だって、と言おうとしたけれど彼女は短く

「バイバイ」

と言って静かに電話を切った。




「俺、思うんだけど」

別れ際、雅博は白い息を吐き出しながら言った。もう暦の上では春なのに、寒い日が続く。心も寒い、なんて言ったらマキはどんな顔をするだろう。

「お前さ、見ないフリなんてやめろよ。大体おかしいだろ、そんなの。三人で話をするのなんか。答えはもう見えてんじゃん。里中と別れるべきだよ。何がそんなに良いの、里中の。そこまで固執する意味がわかんねえ」
「俺も、わかんないけど」

言葉が出てこない。意地でもなんでもいい、だけど、マキが俺を選んでくれたということを無駄にはしたくないと思ってしまう。呆れる雅博は

「ま、お前は本当に馬鹿な良いやつだよ」

と言って手を振りながら自転車をこいでいった。



「騒がないでね」

マキは背筋を伸ばしてすわり、こちらを見ないでそう言った。静かにうなずく。
いつも学校のために下りる駅から二駅ほど離れたファミレスで、俺とマキは隣同士で座っていた。向かい側には、まだ見ぬフジモトさん用の水の入ったグラスだけがおいてある。一応、マキとは一緒に来たもののその間、何も話さなかった。かじかんだ彼女の手を、握ることもしなかったというよりは、できなかった。




「ごめんね、遅くなっちゃって」

沈黙が三十分ほど続いて、酸素が薄くなったように感じ始めたころ頭上から優しげな声が降ってきた。俺の隣に座るマキは顔をあげて、微笑む。俺もその視線の先をさぐるように顔をあげた。
濃紺のマフラーをして、キャメルコートを着ていた男性は静かに微笑みながら俺の向かい側に座った。あ、負けた。そんな気がした。というか確信。もちろん彼は何歳も年上で、そんなのが適わないとかじゃない。そういうのじゃない。たとえ俺が彼と同じ年月を歩いてきても、もう追いつかないだろうという感じ。

「はじめまして。藤本悟といいます。一応名刺を」
「いいよ、名刺なんて」

彼の手を、マキが遮る。

「あ、俺、日下部(くさかべ)卓也です」
「タクくん、ね」
「はい」

藤本さんは微笑みを絶やさない。しばらくしてウェイターが注文をとりにきたが、俺もマキも何も頼まず藤本さんだけがホットコーヒーを頼んだ。

コーヒーが運ばれてくる間、俺は一生懸命彼を観察した。オーラですでに負けているし、もちろんそんなの巻き返せるわけもないのだが、それでも何か悔しかった。マキと目配せする様子もなく、たまに窓の外を見たりする以外は特に動かない。マキは、自分たちの父親と同じ年齢ぐらいだといっていたが、かなり若いようにも見えた。三人とも、口を開こうとはしない。

「本題、だけど」

運ばれてきたコーヒーを二口のみ、藤本さんは言葉を搾り出すように言った。俺からしてみれば余裕にあふれている彼も、さすがにつらいのかもしれない。しかし、俺からしてみたら本題も何もない。答えは見えた。雅博に言われるまでもない。

「いいんです」

彼を遮る。自分でも驚くほど、落ち着いた声が出ていた。マキですら驚いているみたいだった。

「もう、いいんです。俺、なんか、本当駄目だな」
「タクくん、駄目なのは私の方だよ。君に謝らなければいけない」
「謝るなんて、やめてください。これ以上惨めにしないでください」

マキは黙っていたが、不意に立ち上がってトイレに行ったようだった。
彼女の姿が見えなくなってから、また口を開く。

「俺、本当はわかってたんです。マキがあなたのことを話したときから。別にあなたのことを怒ったりはしてないし。マキにはひどいこと言ったけど。でも、あきらめたくなかった。マキが俺を選んでくれたこと。それだけが俺の全部だったし」

言葉を切って、窓の外を眺めると雪がちらついているのだろう。真っ黒い空から白い粒がはらはら、落ちてくる。街行く人はみんな背中を丸めて早足で歩いていく。

「馬鹿みたいっすね、よく考えたら。ただの恋愛なのに。世の中には俺たちみたいなケースいくつもあるだろうけど」
「私は、マキを幸せにできないよ」
「マキが幸せならそれでいいです」

そのまま立ち上がり、ファミレスを出た。

寒い。もちろん、心も寒い。ふと、振り返った。今俺は、くだらないドラマよりも、ドラマじみている。なんで窓際に座ったのか、決めた自分に腹が立つ。席に戻ってきたマキは―おそらく俺たち男二人に気をつかって二人にしたんだろう―何かを藤本さんに尋ねている。彼はおそらく俺が帰ったことを伝え、するとマキは目を覆った。泣いているのだと気づくのに少し時間がかかった。

女の涙ほど卑怯なものはない。こんな寒い中で、俺の足を引き止めるのだから。 藤本さんは困ったような顔をして手を伸ばし、マキの頭をなでる。その様子はまったく、親子にしか見えなかった。

しばらくしてマキは顔をあげ、泣きながらも微笑んだ。その横顔はずいぶん子供っぽく、俺の知らないマキだった。彼女はいつでも俺の中で大人で、同い年には見えなくて― 二人は瞬間、まったくもって恋人だった。 俺の口からはへらへらした笑いがこぼれる。散々、マキに「馬鹿みたいだからやめろ」といわれてきたのに、結局でてしまう。 ポケットに入れた携帯が震えた。


「もしもし?」
「お前、結局どうだったの?」
「女の涙は卑怯だ」
「何、お前鼻声だけど、泣いてんのか」
「泣いてねえよ。寒いんだ、ここ」
「残念、俺今コタツの中でみかん食ってる」 

雅博のやる気のない声を聞きながら、俺は背中を丸めて歩き出した。

END

―あとがき―

LoveRing完結です。最後はタク目線で。
これはもうなんかタクの株があがるんじゃないですかね(笑)なんだかんだで結局ここまで続きました。
ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。
もし街中で藤本さんやマキちゃんを見かけたらそっと見守ってやってください。
ありがとうございました。

 

inserted by FC2 system