丸屋 ―――1


丸屋、というとクラス中だけじゃなくおそらく学校中がいい顔をしない問題児だ。
出席日数稼ぎのためだけに学校にくる彼は、週に二、三回教室に顔を出すけれど、彼がそこにいる日はきまって教室内がなんともいえない緊張感みたいなものを抱く。皆が皆、彼を腫れ物扱いしているせいかもしれないし、そもそも彼自身が、誰ともコミュニケーションをとろうともせずに、むしろそれを拒否するようにふるまっていた。ただそれを教師が何もいえず、軽くしか諌められないのは、一部のうわさでは彼がかなりの秀才だからだという。本当かどうかはまったく誰もわからない。

夏休みも間近に迫ったある日、俺は久しぶりに寝坊というものをして学校までの道を、自転車をかなりすっとばしていた。
汗がしたたりおちてシャツにくっつくのも気持ち悪かったけれど、担任のねちっこい小言を聞くことを想像するのも気持ち悪かったし、少なからずとも女子がいる前でなんだかんだと言われるのは恥ずかしい。とにかくこいで、こいで、こぎまくった。
乾いた汗が気化熱をおこして、熱を奪っていくのが気持ちがいい。蝉の大合唱の中を通っていくのは、ずいぶん青春くさかった。
いつもなら通学する生徒でにぎわう学校までの一本道に差し掛かった。
全速力でかけぬける。
俺の走る道と、学校の前で垂直に交わる道路があって、本来なら一旦停止せねばならない。わかってた。だけど遅刻のほうが俺にとっては一大事だ。戸惑うこともなく、もう一漕ぎしたときだった。
―瞬間、右目の端に鮮やかなオレンジ色の髪の毛が映ったが、それが丸屋だと気づいたときにはもうとまれず、鈍い衝撃とともに、俺はアスファルトに投げ出された。


「本当、ごめん」

病院から出たところで、俺はどぎまぎしながら丸屋にそう言った。彼は松葉杖をつきながらふらふらとしている。オレンジ色の髪の毛は目まで覆い隠しているから、表情はよくわからない。そうか、目は口ほどにものを言うというけれど、本当だ、などとくだらないことを思う。

「いいよ、別に。骨が折れてるわけじゃなかったし」
「いやでも、夏休みはじまるのに」
「関係ないから、俺には」

目は見えないが、きっと丸屋は無表情なのだろう。まるで棒読みみたいに、彼は言葉を口にだす。しゃべっている、という感じではなかった。ただ、言わなければいけないから口にだす。そういう。

桶川(おけがわ)はこのまま学校だ。丸屋は帰っていいからな、送るぞ」

自転車の俺とぶつかった丸屋は、左足のひざをおもいきりすりむいた。かなりの血がでていたし、骨は出ていなくて骨折もしていなかったが、病院では包帯をまかれ松葉杖をつくことになった。俺はひじと頬を吊り向いて、右の額にたんこぶができたぐらいだ。
保健室に行く途中で、たまたま担任の芝浦(しばうら)に会ったから、芝浦が病院まで車を出してくれた。丸屋は頷くこともしないで、俺を追い抜かして車に乗り込む。黙って後に続いた。

「俺、学校で下りる」

俺たちが事故った道路にさしかかったとき、丸屋はそう言った。先生は丸屋を家まで送ったあとに学校にもどろうと思っていたらしく、丸屋のその言葉で少し振り向いた。俺も、助手席に座っていたので振り向いた。

「何言ってんだ。お前、その足じゃ歩くのも大変だろ」
「歩ける。それに、もう学校だろ。いいんだよ、学校で下ろせよ」
「お前な、教師に向かってその口の利き方はなんだ」
「いいから、下ろせよ」

芝浦の言い方も、丸屋の言い方もまるで怒気を含んでおらず、だが丸屋は頑なだった。最後には芝浦が折れた。
校門前で、丸屋は松葉杖と自分のかばんをもって降りた。俺はこのまま見送ってもいいものか逡巡していたが、ついには口に出せず、よろよろと去っていく丸屋の後姿とオレンジの頭を眺めていた。


「先生」

彼を見送ったあと、学校の駐車場に車を止める。車から降りると上からの直射日光と、下からの照り返しですぐに汗が噴出す。芝浦もその暑さに顔をしかめながらこちらを向く。

「丸屋の家ってどこらへん?」
「あー、あれだ、生徒のこじんじょうほうのろうえいをふせがねばならん」
「なに、今ぜってえ言えてないよ。全部ひらがなみたいな言い方だった」
「あのな、お前は加害者なんだぞ。ったく、遅刻だし、最悪だな。カミナリ落ちるぞ」
「誰から」
「お前の母さん」
「先生じゃないのかよ」
「俺に怒るなんてものは向いてない」
「先生」

職員室に向かって歩き出す芝浦のあとに続く。その背中には汗が染みていた。きっと俺もしみている。丸屋の背中にだって染みているかもしれない、と思うと急に不安になった。

「丸屋の足、腐らないかな」
「あぁ?」

芝浦は驚いたように振り向いた。

「だって、この暑さだろ、なんか腐ったら俺マジでどうしよう」
「お前な、高二にもなってその考え方してるから彼女ができないんだよ」
「関係ねえよ」

げらげらと笑われて、丸屋のことは気にしなければいい、と半ば無理やり思う。




「え、丸屋くんと事故ったの」
「うん、ぶつかった」

終業式の朝、隣の席のヒロミにその話をした。あの日以来、丸屋は一度も学校に来てない。さすがに心配だが、家もわからないし連絡先もわからない。クラス中に聞いてみたものの、誰もしらなかった。ヒロミは興味があるのかないのか、マニキュアを塗りながら横目で俺の話を聞いている。

「超怖い。殴られたりしなかったの?」
「いや、まったく。俺も絶対なぐられると思ったけどな」
「わかんないよ、家帰ったら玄関先にいたりしてさ」
「やめろよ、鳥肌たつ」

ヒロミはけらけら笑って、爪にふうと息を吐いた。オレンジ色のマニキュア。学校で塗るなよ、と突っ込むと、今日は午後からデートだもん、とかわいこぶってみせる。いないくせに、とさらに言うと、お前に言われたくない、と頭を叩かれた。じゃあ、俺が彼氏になってやろうか、などとは口が裂けてもいえない。ヘタレな俺。

「あ」

ヒロミが真顔になった。どうやら俺の後ろのドアから誰かが入って着たらしい。振り向くと、オレンジ色の頭の彼だった。松葉杖をついて、体を左側に傾けて―珍しくかばんが重そうに見えた―静かに入ってきた。

「…おは、よう」

中途半端に裏返った声が俺の咽喉を押し広げるみたいに出てきた。丸屋はふいと顔をあげ、目線はもちろんみえないがおそらくこっちを見たのだろう、かすかに頷くみたいにして松葉杖をつく。彼の席はグラウンド側の一番後ろの席。かばんが重いのかけだるいのか、彼の歩みはずいぶん遅い。足が痛いのかもしれない。カツン、ガシャン、と松葉杖が床をたたく音とかばんがゆれる音が交互にする。誰もが黙ってじっと見ていた。ヒロミも手のひらを広げて机についたまま、首だけを動かして丸屋の歩くさまを見つめている。

「丸屋」

あまりにも進みが遅くて、きっと彼は望んでいないのだろうとなんとなく思いながらもかばんを支えた。丸屋は驚いたようにこちらを見る。前髪がゆれて、初めてしっかりと目があった。目つきが悪いわけじゃなく、普通の顔だった。

「手伝うよ。俺の責任だし、悪かったよ」
「触んな」
「いいよ、体傾いてるよ」
「うるせえな」

丸屋が腕をつっぱねて、松葉杖と俺は一緒に倒れた。たいした音もしなかったが、誰もが見ている。かあっと体が熱くなる。彼はゆっくりとしゃがんで、松葉杖を拾いなおし俺のことは無視をしてまた歩を進める。丸屋が席について、頬杖をつくと皆は何もなかったみたいにざわざわと騒がしさが戻ってくる。ヒロミは席をたち、しりもちをついたままの俺の横にしゃがんだ。

「あんま手、出さないほうがいいんじゃない」
「けど、俺」
「うん、たぶんオケは間違ってないけど。あんま関わらないほうがいいんじゃないって」

下から見上げる、少し離れたところに座る丸屋はまったく別世界にいるようで、夏の日差しにその髪の毛がきらきらと輝いていた。



「丸屋」

もう夕方五時を回っていたのに、教室の中は妙に明るかった。電灯はついていない。冷房はさっき切れた。五時をすぎると学校中のクーラーは切れる。五時になったら帰ろうと思っていたが、帰ろうというそのタイミングに丸屋が帰ってきた。おそらく欠席日数の数と、特別補習のことで呼び出しをくらってるんじゃないか、と三時までは一緒に待ってくれていたヒロミがそう言っていた。

「かばん、家まで持つ」

その申し出は宙に浮いたままだ。丸屋はそれを無視して、松葉杖を机にたてかけるとかばんを肩からかけ、また松葉杖をもって教室を出て行く。その背中にはかすかに汗のあとがにじんでいた。夏の熱気は毎年毎年強くなるようだ。さっき切れたばかりの冷気に打ち勝って、熱気が教室内に充満しようとしていた。廊下に出る。もっと手ごわい熱気が渦巻いていた。蝉がはじけたように鳴きだす。
丸屋の後姿がゆっくり遠ざかっている。廊下は古い正方形のタイルが敷き詰められていて、すべりやすい。不安に思いながら、追いかける。そのとき、カシャーン、と高い音がしてつづいて、低いうめき声みたいな声が聞こえた。
丸屋が転んだんだ。

「大丈夫か?」

半ば滑り込むみたいにそばによる。ひざを打ちつけたらしく、暑さからの汗というよりも痛さからの汗をかいているみたいだった。冷えていたからだもすぐに熱を持つ。

「ひざ、打ったんだろ。いいよ、本当俺かばん持つし、それぐらいさせろって」

かばんを半ば奪い取ったが、丸屋は反抗もせずに松葉杖を拾った。立ち上がるのに腕をかすと、素直につかまる。ゆっくりと階段をおりて、学校を出た。


ようやく日が傾いてきて、若干空気が涼しくなってきたがやはりアスファルトにこもった熱が汗を呼ぶ。蝉も鳴き続けていて耳が痛くなるほどだった。俺はかごに丸屋のかばんをいれて、自転車をひきながら丸屋の歩調に合わせて歩いた。
学校の前の道を通り、生徒の大多数が使う最寄の駅とは反対方向の、田んぼや畑だとか、ずいぶん緑の多い平地を歩いていた。駅前は本屋とかCDショップだとかが多くてよく友達とも行くのだが、こっちにきたことはなかった。たぶん俺の家は、駅と丸屋の家のちょうど真ん中にあるのだろうとぼんやり思った。
丸屋は俺の横を黙々と歩いていている。汗をぬぐうことはできないのだろう、オレンジ色の髪の毛が汗を吸い、額にべたりと張り付いていた。不思議と不快なようには見えなかった。

「お前、本当にうちまで来る気か?」

丸屋は立ち止まり、伺うようにこちらを見た。前髪が汗で固まっているせいでか、斜めにわかれているその間から両目がはっきりとこちらを見ていた。変に力のある目だ。ヒロミの目はぱっちりとして、かわいいと密かに思っているし力があると思う。
だけど、丸屋はその比じゃない。どきりとしている自分が気持ち悪い。

「かばん、もっていくって言ってるだろ」
「……俺と一緒にいると、色々まずいんじゃねえの。せんせーたちはいい顔しねえだろうな」
「俺がそんな良い子だって言うのか?」
「あ?」

一瞬きょとんとした丸屋は、はじけたように笑い出した。蝉とのコラボレーション。四方が田んぼのこの場所で、笑い声はよく響いた。

「人のこと自転車で轢いといて何言ってんだよ、ばかじゃねえの」
「うるせえよ」

声がひざに響くといいながらも、丸屋は笑っている。少しほっとして、丸屋の笑いにつられて俺も少し笑った。

「でも」

彼は杖を脇に挟み、腕をのばすとかばんをとった。

「家まではいい。ここからは、近いから」
「けど」
「いいって言ってんだろ。桶川ってけっこう面白いのな」
「お前が勝手に笑っただけだ」

丸屋はまだ笑っている。あまり納得はいかなかったが、田んぼのあぜ道の真ん中で携帯の番号を交換して、別れた。


to be continued

 

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