丸屋―――4


その後、丸屋は補習にもちゃんと来たし出席日数も足りた。同じ科目をとっているときは、以前と同じように俺の隣に座った。おはようと言えばおはようと返す。気をつかっているのか俺の近くにヒロミがいるときは、近くにこない。目が合えば変な顔をして、笑わそうとする。だけどたぶん、俺も丸屋も空回りを感じていたはずだ。だんだんと言葉を交わすことは少なくなり、なぜかヒロミが不安そうに俺を見た。そういう日が増えた。

俺たちは三年に進級した。
丸屋も、俺も、ヒロミも別のクラスになった。ヒロミとは相変わらず廊下で会えばくだらなく話したが、丸屋とはまったく疎遠になった。オレンジ色の頭が視界にはいっても、できるだけ目では追わないようにした。もう、どうしていいのかもわからなかった。あの、キスの、夜から丸屋から積極的に接触もなく、俺は悶々としたままで、だからといって彼の気持ちを理解できるわけでもない。

何を言えばいいのか、何を答えていいのか。
俺には何も、わからないんだ。
あの出来事はなかったことになっているのなら、もう、それでいい。あの目に、俺を見つめたあの目に、どんな思いがあったのか、知らなくて、いい。



高校を卒業し、地元の大学に進学。大学も無事に卒業し、地元の企業に就職してからもう六年がたった。
この春に社内の異動があって、俺は変わらなかったが周りの人間が何人か入れ替わった。事務員のおばさんが若い女の子に変わるそうっすよ、と隣のデスクの平松が嬉しそうに話していたのは、昨日の話だ。今日はその女の子を含め、配属されたのがくるはずで夜は歓迎飲みをするとかいっていた。夜にふらふらするのはあまり好きじゃなかったが、付き合いならばしょうがない。

朝のミーティングが終わり、しばらくしてから何人か見知らぬ顔がやってきて、課長のデスクの前に並ぶ。そして課長がパン、と一回手を叩いた。

「彼らが今日から新しくここに入る。やりやすくしてやってくれよ」

そういわれると、彼らはペコリとお辞儀をした。まだ入って2年たったかたたないかぐらいなのだろう、動きにはまだ若干のぎこちなさが残る。平松がイスに座ったままからからとこっちにやってくる。

「ほら、あの子ですよ。あの子。一番はしっこの。ああ、ここの島の事務員になってくんねえかな」
「なるだろ?ここの島の事務員のおばちゃんがいなくなったんだから」
「ですよね、俺がんばっちゃお。あの子なかなかかわいいっすよ」
「仕事場でサカるな」

平松は鼻の頭にくしゃっとしわを寄せて笑う。人懐っこい笑顔だ。だから憎めない。からからと自分のデスクに戻った平松を確認して、自分のデスクに移動する、新しい事務員の女性を見る。童顔なのか、ずいぶん若く見えた。こげ茶色の髪の毛を後ろで一つに結わえている。首が白く、細い。
彼女は自分の荷物の入ったダンボールをかかえて、やはり俺たちの島にやってきて以前いたおばちゃん事務員のデスクに荷物を置く。その一連の行動を見ていたのがばれたのか、彼女は俺のほうを見た。がっちりと目が合う。
はっとした。まるでどこかで見たことのある目だ。違う、見られたことのある目だ。ああ。思い出した。

高校の、あのときの、丸屋の目だ。

何が、と言えば答えられない。ただ、変に力のある目だった。

「ども、この島の一員の平松です」

六つのデスクが三つずつ向かい合うようにくっついて、一つの”島”と呼んでいる。六人のうち一人は事務員で、島の中ででる領収書やコピーの世話などをする。ほか五人は外回りに行ったり内勤だったり、けっこうハードなスケジュールのときもある。それでもこの仕事を続けられたのはこの島制度(小学校の頃の班みたいなものだが)の中で育つ連帯感だったり、自分の役割だったりを感じられるからだ。とくにこの平松は、ムードメーカーで、何かとくるくるよく動いてくれる。新入りに真っ先に挨拶したのも、やはり彼だった。
なぜかドキドキとしている俺をよそに、彼女は差し出された平松の手をやわらかく握り、優しく微笑んだ。

「はじめまして、丸屋園子です」

彼女は、唖然としている俺を一瞥した気がしないでもなかったが、わからない。




その夜、課での歓迎飲みがあり、二次会は島別に行われることになった。俺たちの島の幹事はもちろん平松で、彼は予約をしてあった居酒屋に俺たちを案内する。丸屋さんは始終にこにこしていて、平松のくだらない話にもよくけらけらと声をあげて笑った。雰囲気はいい。ただたぶん、俺だけが彼女と目が合うたびに緊張していたろう。ほかの面子は彼女に話しかけ、仲良さげにはなしている。ふと、二次会の店に入る前、扉をあけたまま人数を確認していた平松が、最後に入った俺の耳元で言う。

「どうしたんすか、桶川さん。今日はいつにもましてなんかクールで」
「いつもだよ」
「けど、珍しいっすね。新しい人はいってくると、桶川さん色々面倒みてあげてんのに」
「お前がいるからな」
「ほめ言葉っすか」

平松は笑い、店に入る。


俺たち六人は座敷に通され、三人ずつで向かい合って座る。せっかくだし、とオフィスと同じデスクの配置で座ることになった。俺と彼女は対角線上で、一番遠い。心なしかほっとして座る。
一次会ではそこまで飲まなかったからか、みながけっこうな勢いで酒を口にしていた。寝ている奴もいる。そこまで酒には強くないので、俺はジョッキを少しずつ口にしながら、皆の話に耳をかたむけ相槌をうっていた。



どのくらい経ったろう、しだいに勢いは消えまどろんだ空気になる。最初の席から各自好きに動いて、俺だけがかわらずその場所にいた。つまみの枝豆を食べながら、皆の帰路をどうやって確保しようとぼんやり考えていたときだった。

「あの」

顔をあげると、本当は同期の古賀が座っていた場所に丸屋さんが座っていた。予想外のことで、がっちりと目があってしまった。ぼんやりとしたオレンジ色のやわらかい照明の下、彼女の髪の毛は昼間見たよりも明るい色に見える。あの、丸屋のオレンジ色の髪を思い出す。今もまだ、あの髪の色をしているのだろうか。さすがにそれはないか。

「桶川、さんですよね」
「あ、うん。どうかした?」
「いえ。今日あんまり話してないなあって思って」

ふっと微笑んだ。目じりに若々しいしわが寄るのが、かわいらしい。どっと笑い声が上がって、二人してそちらを見ると平松がまたくだらないネタなんかを見せていて、眠っていたやつも起きていて、俺たち二人以外がそこでなんだかんだと騒いでいた。丸屋さんに目を戻すと、彼女もこっちを見ていた。

「悪いね、バカばっかりで」
「いいえ、すごく楽しくて。ほかの人みんないい方でよかったです。楽しくなりそう」
「まあ、そんな難しいことなんか何もないし。事務員は雑用ばっかりで、嫌になるかもしれないけど、フォローはするよ」
島長(しまちょう)さん、なんですよね。桶川さん、若いのに」
「そんなことないよ」

島の責任者を「島長」と呼び、俺は二年前にその任についた。自己紹介のときにそう言ったのか、平松が言ったのかあまり定かではない。

「桶川さん、おいくつなんですか?」
「俺?あー…今年で29かな」
「そうなんですね。私、兄がいるんですけど、兄と同い年です。三つ上の兄で」

俺の顔が引きつったのだろう、丸屋さんは少し驚いたような顔をした。はは、と笑っては見せたもののあまり効果がなかったようだ。

「どうか、されたんですか?」
「あ、いや…丸屋さんのお兄さんは…高校二年の夏に…足とか…怪我してなかった?」

彼女はビールを一口のみ、ジョッキをおいて、考えている様子だった。答えようと俺の顔を見、口を開いたときに、なんともまるで謀ったかのように平松が俺の首にからみついてくる。酔うとこうなるのが、たぶん、平松のよくないところだ。皆が笑っている。

「もー、桶川さん、丸屋さんを独り占めしちゃだめですよー」
「ああ、もう、お前、調子のんな。お開きだ、お開き」
「そんなー」

そうは言うものの、いい時間だったこともあり皆が立ち上がり思い思いに身支度を始める。俺は平松を立たせ、コートを持たせる。自分の分も持って、彼を外に促すのを装って座敷から出た。丸屋さんの方は見なかった。


もし、丸屋さんが、丸屋の妹だったからって俺に何かできるわけでもない。知ったところで、どうしようもない。彼女に取り持ってもらって、切れてしまった縁を取り戻そうとしたっていいだろう。だが、どうやってあいつのあの目を見ればいい。もう十年以上も経っているのに、こんな風にぎこちなく感じてしまう俺がバカなんだろうか。大学に入るとき、携帯を変えた。そのときに丸屋のアドレスは消してしまった。彼はあの後、俺に連絡を取ろうとしたことはあったのだろうか。結局進学はしなかったのか。就職したのか。きっと、あのまま、あの出来事がなかったらたぶん、俺たちは今も連絡をとりあってお互いの仕事がどうだとか、どんな子と結婚したいとか、そういうことを話せているはずだったのかもしれない。


きってしまったのは、丸屋か、俺か。


居酒屋を出ると、春とは言えすこし寒い風が心地よかった。各々が電車やバス、タクシーにのって帰っていく。俺は平松を支えて、全員が帰るのを見送る。飲みすぎたのか、平松は真っ赤な顔をして俺によりかかり半分寝ている。よくもまあ立って寝られるものだ。

「桶川さん」

振り返ると、丸屋さんが立っていた。白い春物のコートを着ている。繁華街の、ぼんやりとしたネオンの中で彼女だけは浮き上がっている。たぶん、きっと、絶対、丸屋の妹だと確信した。最後に二人乗りをした、あの夜に、去っていった丸屋も白いTシャツを着ていた。彼だけが浮き上がっていた。

「兄は、怪我してたのにすごく楽しそうでした。最初、学校に通うのも大変だと思ってたんですけど、桶川さんだったんですね、送っててくれたの」
「まあ、俺が怪我させちゃったからね」
「ありがとうございました。うち、父親いなくて、母もそんなに家にいなかったので、やっとお礼が言えてよかったです」
「いえいえ、そんな」

寝ぼけた平松が謙遜している。丸屋さんはくすりと笑った。

「…それで、丸屋は…お兄さんは元気?」
「はい。この近くで働いていて、もうすぐ帰るというので、一緒に帰ろうかと思ってます。会っていかれますか?」
「いや、いいよ。こいつ、いるし…まだあそこに住んでるの?」
「さすがに、住んでません。それにあそこ一体、壊されてマンションが建ってるんです。今はこの沿線の駅前のマンションで、兄と私で暮らしてます」
「じゃあ、駅まで一緒に行くか?」
「いいですか?兄とは駅で待ち合わせなので」

彼女が隣にくる。お酒を飲んでいるはずなのに、そこまで酔っているようには見えなかった。



駅までの道で、ぽつりぽつりと話をした。主に、彼女の兄の話を。高校卒業後、どこに就職して、転職して、引越しをして。もうずっと会ってもいないし、一緒に過ごしたのはあの夏休みだけだというのに、俺の頭では同い年になった丸屋が容易に想像できた。たぶんそれは、彼女の横顔や話す雰囲気が、彼にそっくりだったのもあるだろう。切ないほど、俺はあの頃にトリップしていた。


「お兄さんはさ」

兄を待つ、という彼女とやはり半分寝ている平松を駅の柱にもたれさせて、平松の分も切符を買い、また彼女の元に行く。

「まだ髪の毛、オレンジ色?」
「いえ、まさか」

彼女はけらけら笑う。

「高校を卒業する頃には髪の毛、黒くなってました」
「そうか」
「本当に、兄にあっていかれませんか?きっと喜ぶと思うんですけど」

いや、と手を振りながら平松を支える。まったく、酒臭い。

「まあ、また時間があれば今度は会いたいよ。丸屋によろしく伝えてくれ」
「はい」

平松は少し目が覚めたのか、もう大丈夫っす、とそれでもふわふわした調子で言うと俺から離れて一人で改札口を通って階段を上っていく。俺も後に続こうとすると、彼女に腕を掴まれた。

「すいません、あの、少し私今でもわからないことがあって。あの頃、というか高校のときに仲良かったのは桶川さんなので、何か知ってるかなって思って」

丸屋さんは遠慮がちに、それでも兄ゆずりなのかそれとも親ゆずりなのか、そのしっかりした目で俺を見た。

「ぼんやりとしか覚えてないんですが、兄が泣いていた夜があるんです。夏休みで、いつだったかな、たぶん居間に布団が出ていたから兄が熱を出したときだったと思うんですけど。バカなことをしたって、ないてて、私初めて兄の泣いてるのを見て、覚えてるんです。もし、桶川さんが、あの、兄になにかされたのかなって思ったんですけど、喧嘩みたいなこと。それを知って、どうしようってわけでもないんですけど、もしそういうのが原因で、あの、兄に会えないのなら、すごく、申し訳ないって、私が言うことでもないと思うんですが、あの、すいません」



丸屋。
きったのは、俺だったのか。



丸屋さんは顔を真っ赤にして、自分が言っていることがわからなくなっているようで、それを恥じているのだろう。最後は照れたように、へへ、と笑った。

「園子」

彼女が振り向く。俺もそっちを見る。男が立っている。


あの目で、立っている。


「お兄ちゃん」

丸屋さんが、今度は俺の顔を見た。微笑んでいる。

「兄、です」

俺は、どうするべきか逡巡し、自分でも驚くほど自然に笑顔になった。


「足、腐ってないか?久しぶり」




END


***あとがき的なもの***

コレを書き始めたのは2008年12月からで、たぶん一番早く終わったお話です。
期間的に、一ヶ月ちょっと。
書きたい、と思ったのは「頭のいい不良」。それだけでした。
まさか、こんなにホモくさくなるとは予想外だったのですが。

最後、丸屋があんまりにもかわいそうだったので
ちょっと救いの手を伸ばしてはみたのですが、桶川君のことですので
また、素晴らしく裏切ってくれるといいです。
ちなみに大学に入学する前に、ヒロミちゃんに告って付き合うんですが
半年ぐらいで別れちゃったという、裏設定をいかしきることができませんでした。
そして、園子ちゃんと桶川君は結婚する予定です。
ううん、ただの言い訳。

ここまでお付き合いくださった方がいたら、ありがとうございました。
ご意見・感想など、いつもお待ちしておりますのでお気軽にお願いします^^

ありがとうございました。

2009.2.2 こんにゃく 拝




 

inserted by FC2 system