なきむしこよし 朝からママは綺麗に化粧をしてる。先週の日曜はもさーってした顔して、髪の毛も適当に後ろで結わえ、眉毛もかいてなくて、おじさんみたいな顔してたくせに。別にそんなママは嫌いじゃないけど、なんだかむずがゆいし少し悲しい。 先月遊びにきたママの親友の、やっぱりバツイチの 「 と言う。ママは−ちなみにそのときはおじさんみたいだったけど−三枝子サンとやっぱりゲラゲラ笑って、あたしの頭をがしがし撫でた。本当におじさんみたいにあたしを扱う。ママはママだけど、パパでもある。ママ自身がシングルマザーっていうのを一度もママが恥じたことがないように、私もシングルマザーの娘だということを恥じたことはない。 「 いつもの、仕事あけとは全然違うママの顔。ファンデーションがつやつやなめらかな肌を演出してる。いつもこうしてたら綺麗なのに、だけどおじさんみたいなママも嫌いじゃないんだけど。 由汰朗っていうのはママの元アシスタントであり、恋人。ママとは歳が20離れていて、彼はまだ若い。ひまなときにうちに来ては泊まっていく。由汰朗はハーフで、顔はまるで外人みたいなのに日本語しか喋れない。しかもあたしの周りにいる男子みたいに、くだらないことが大好きだ。 「こんちあー、おっじゃましまーす」 ママがハーブティーをいれはじめたときに由汰朗がやってきた。一人で聞いたこともない歌を口ずさみながらやってくる。ママが「何その曲」と尋ねると「作詞作曲、俺」と楽しそうに答えてハグをする。あたしの目の前で、恥ずかしげもなく。しっかり抱き合ったあと、由汰朗は今度は私に視線をうつして満面の笑顔を浮かべた。両手をこっちにむけている。誰がお前とハグするか!って顔で睨み付けると、睨まれちゃった、とママに言う。 「小月ちゃんは絶対に月サンの子だよな。素質あるよ」 「当たり前じゃない。あんたよりよっぽど小月が大切だし。なんのために小月なんて名前つけたんだか」 「ちび月サン、ってことか」 何がおもしろいんだか、由汰朗はふふ、と微笑んでハグしないかわりにあたしの頭を撫でた。おっきい手だ。だけどママがおじさんであるときみたいでなく、優しくゆっくり撫でる。由汰朗は私のことを子供あつかいするけれど、たぶん絶対あたしの方がお姉さんだって思ってる。実際絶対そうだ。 ハーブティーをいれたポットと、三人分のカップとソーサーを乗せたトレーを由汰朗がもって、昨日あたしとママでつくったマフィンとクッキーをママがもって、あたしは二人の後ろにくっついて庭に出た。ここはマンションの最上階で、ベランダが庭になってる。さえぎるものがなくて、切り取られた空は綺麗。 「今日もいい天気。何枚かとろうかな」 ママが言うと、由汰朗がはは、と笑う。 「ダメだよ、月さんは段々本気になるからせっかくの休みが現像までやってたらつぶれちゃうよ」 あたしも最もだとおもって頷いた。だけど、とママは悔しそう。小さなウッドテーブルにカップとソーサー、マフィンにクッキーをならべて、三人で囲む。少しはやいティータイム。由汰朗がふと言う。 「けど本当の空ってこんなんじゃないんだよ。俺の実家は田舎だけどとにかく空が真っ青で広いんだ。こんなに霞んで白くは見えない。小月ちゃんも月サンもきっと本当の空見たことないよ」 「由汰朗の目よりも青いの?」 ママは笑って、由汰朗の顔を引き寄せる。あたしは見ないふり。どうせ今にキスするんだから。知らない。 そして、大学生になったあたしは由汰朗が言うところの本当の空を眺めている。マンションの屋上から見たあの空なんか、まったくのうそっぱちだったって今なら思う。そして本当の青空っていうのがこれなんだって。都会の空は、そう、まさに白く霞んでいた。 「小月ちゃん、寒くない?」 田んぼのあぜ道に座りこんで、じっと空を眺めていると由汰朗はブランケットを持って隣に座った。大きかったので、二人一緒に羽織る。三月とはいえ、空気はまだ冷たい。由汰朗の白い頬と鼻の先がちょっぴり赤くなっていて、笑えた。 「ママだったら、きっと何時間もここに寝転がってカメラ、構えてただろうと思うな」 「そうだね。きっと、そうしてたと思う」 「あたしも撮ろうかな」 「ダメ、小月ちゃんはあんまりセンスないから。勝気なとこは月サンに似てても、芸術センスはまるで0だもんな。おとなしく獣医の勉強でもしてりゃいんだよ」 「はあ?由汰朗のクセに生意気。あんた、犬みたいだからいつか病気になってもあたしが治してあげるよ」 「あのね、俺のほうが年上なんだけど」 「あ、そうなの?」 「そうなんです」 由汰朗は大きな口でにんまり笑って―その顔が、ご主人様になでてもらって気持ちよさそうな犬みたいに見える―、あたしの頭をぐしゃぐしゃなでた。まるでママが、休日の朝起きてあたしの頭を撫でるみたいな感じで、ちょっと泣けてきたけれどたぶん、彼は気づいていないはずだ。ふん、と涙を飛ばしたつもりだったけど、由汰朗にはあたしが笑ったようにきこえたらしく、なんだよ、とさらにぐしゃぐしゃ撫でてきた。 ママが死んだのはあたしが高校一年の冬だった。広告用か何かの写真のために冬山のドライビングロードで寝そべって夜空を撮ってたら、ゆっくりゆっくり走ってきた車にひかれた。運転してたのは若い男の人で、助手席に乗っていた女の人も気づかなかったという。ママも、一つのこと、殊に写真のことになると周りが見えなくなってしまうので、気づかなかったんだろう、という結論になった。ママらしいといえば、ママらしい終わりだったけど。 しばらくの間は、三枝子さんがマンションに泊まってくれていろんなお世話をしてくれていたし、ママのお母さん―つまりおばあちゃんも来てくれてはいたのだけど、三枝子さんには三枝子さんの生活があるし、おばあちゃんも歳のせいで動けないこともある。あたしは、ママと暮らしていたマンションから引っ越して、ママが遺してくれたお金で細々と一人暮らしをしたってよかったのだ。 だけどそれをとめたのが、誰でもない、由汰朗だった。 由汰朗は自分の住んでいたマンションを解約して、あたしたちのマンションにやってきたのだった。最初、おばあちゃんは反対したけれど、あんまりにも由汰朗が人畜無害に見えたのか、本当に飼い犬ぐらいにしか見えなかったのか、最終的には許してくれた。 そして大学2年の春休み、由汰朗は自分の実家にあたしを連れてきたのだった。 悲しくない、といえば嘘になる。だけど、ママはいつも飄々としていて、何があっても総て受け入れてた。だからあたしも受け入れることにした。ママは死んだけど、それはたぶん、いつかはみんな死ぬのだし殺されていないだけマシだ。なんて、きっとママなら不謹慎だといって非難なんかしない。ただ、問題は由汰朗だった。 彼は、ママが死んでから、ふざけたことを言わなくなっていつも悲しそうに笑う。それだけママのことが好きだったんだなって思うけど、一緒に暮らしているとうっとうしいことこの上ない。だけど、悲しむな、とあたしが言う権利もない。ただ、どんよりとした雰囲気をどうにか払拭したくて、そもそも彼の実家に行きたいと言い出したのは、あたしだ。 「由汰朗はさ」 どれだけ眺めていても、綺麗な空っていうのは飽きない。気づいたら日が暮れていて、オレンジと金色を混ぜたような薄い夕陽が下がっていくのが見えた。そろそろ帰ろう、と由汰朗が立ち上がったので、そう尋ねながらブランケットをたたむ。 「小さい頃、ここでよく遊んだの?」 「ああ、そうだよ。友達とずーっと走り回ってた。今はもうないんだけど、ここを少し行ったら川があってさ。そこでパンツ一丁で泳いだこともある」 楽しい思い出を語っているくせに、少し悲しそうによせた眉根。青い瞳には、今にも涙があふれそうに見える。禁句だとは思いながら、言ってみる。 「ママとここに、来たかったでしょう」 はっとした顔で由汰朗はあたしを見て、そう、結局はぼろぼろと泣き出した。せっかく立ったのにまたしゃがみこんで、ううう、と嗚咽が聞こえる。あたしは彼の肩にそっとブランケットをかけた。本当に、まるでわがままな動物か赤ちゃんみたい。あはは、と自然に笑いがこみあげた。 ママが由汰朗のどこが好きか、なんとなくわかった気がする。 「ちょっと由汰朗、こんなとこで泣かないで。せっかくの景色が台無し」 沈みかけている夕陽に目を移すと、夕方から夜に映りゆく中で遠くに見える木立がまるで影絵のように黒々と立ち並んでいる。きれいなのに、そばでは由汰朗がもらす嗚咽が大きくて、本当に台無し。ほらほら、と肩をぽんぽんと叩くと彼はまだなきながら顔をあげた。 「月サンにも同じようなこと、言われたことあるんだ。俺が月サンに告白した日」 「そんなの知らないけど。ね、帰ろうよ。由汰朗のおばあちゃんの温かいお鍋が待ってるんでしょ」 「うん」 「たくさん食べたら、ちょっとはママのこと忘れるかも。ママはたぶん、思い出されて泣かれたくなんかないよ」 「うん、俺もそう思う」 「わかってんならしないでよ」 「小月ちゃんが、意地悪だからだよ」 「いくつよ」 由汰朗は立ち上がり、ずずずっと鼻をすすってブランケットをあたしの頭に乗せた。ゆっくり手をつなぐ。ふと、彼がでたらめな鼻歌を歌うので「何その曲」と尋ねたら「作詞作曲、俺」と得意げな声が返ってきた。 END *** 元気なお話し書きたいと思ってたんですけど…これって…何… 由汰朗はきもい男です。 |