王子様のバラ



しんと冷えた朝。隣の家に遮られて見えないものの、空は少し黄色みをおびた水色をしている。夜があけた。卓哉(たくや)は大きな欠伸をしながらのびをした。

「…あ、たし寝てた?」
「今、起きたんだろ」

隣で寝ていた美沙夕(みさゆ)も目をさまし、しきりに「しまった」だとか「しくじった」だとかを呟いている。卓哉は目を細めて、呟く彼女を見つめた。

「何?」

不服そうな顔で見返す彼女を、卓哉は愛おしく思う。前髪をかきあげ、彼が唇で額に触れると「気持ち悪い」と美沙夕は益々嫌そうな顔をした。それでも卓哉が髪を撫でていると、諦めたのか、美沙夕は黙って彼に体を預けた。

少しずつ騒がしくなる街の音が窓からかすかに伝わってくる。冷えた空気が温度を持ち始める。卓哉はこの瞬間が好きだった。美沙夕にはそんなことは話していない。彼女はしんとした夜中が好きだから、きっと合わないだろう。

「ねぇ」
「ん?」

卓哉の腕の中、彼を見上げる美沙夕はどこか小動物の様だった。

「最近はちゃんと眠れるようになった」
「うん」
「前は眠るのが怖かったけど、今でも怖いけど、そうでもない。朝が好きになった。誰もいない、一人だけの夜も好きだけど、今は朝も好き」

意外に、思う。

「それはよかった。ついでに朝ご飯も食べてくれるといいんだけどな」
「今日はお昼に食事の約束してるから、いい」
「あ、そうか」

卓哉は立ち上がり、コーヒーをいれながら冷蔵庫の上に置いてあった食パンをトースターにセットした。

「本当に食わない?」
「いらない」

しばらく二人で並んでテレビを見ていると、香ばしい匂いが漂いはじめた。美沙夕は鼻をひくひくさせて、匂いを食べている。卓哉はキツネ色になったパンを一枚は自分の皿に、もう一枚は美沙夕の皿に乗せた。

「いらないっていった」
「食うだろ?」
「うん。窓開けて」

言われるがままに、卓哉は窓をあけた。かすかだった外のざわめきがはっきりと部屋中を満たす。遠くでクラクションが鳴った。
美沙夕は目をつむり、トーストを噛っている。こうしていると、彼女はどこか知らない星からきた妖精とか、そういう脆いものに見える。
卓哉は、なんとなく幼い時に読んだ「星の王子様」を思い出した。彼女は王子様が大切にしていたあの小さなバラだろう。気高く、繊細なバラ。彼の視線に気付いたのか、美沙夕は目を開けた。彼女の瞳の色は左右で違う。遺伝異常なのかわからないが、右目ははしばみ色で左目が濃い茶色をしている。

「何?」
「お前さ、星の王子様読んだことある?」
「ない。抽象的で掴みどころのない話は嫌い」
「お前らしいな」

それからは二人とも特に話もせず、香ばしいトーストを味わった。




「じゃあ、行く」
「うん」

全身を赤いコートで包んだ美沙夕は黒いブーツをはき、右目には白い眼帯をつけている。せっかく綺麗な瞳だから外せばいいという卓哉の言葉に、彼女が耳を貸したことは一度もない。

「夜は?」
「6時には帰ってくる。タクは今日、何するの?」
「仕事が溜まってるからぼちぼち片付けるよ」
「わかった」

美沙夕は卓哉の頬にキスをし、そのまま出ていった。

「よし」

美沙夕を送り出した卓哉はのびをして、部屋中のカーテンをあけた。もう完全に陽が上り、青空が広がっている。こんな日に室内で仕事をするのは忍び難い話だったが、美沙夕を養う自分としては放棄し難い話でもある。

「あ、そうだそうだ」

少し大きめの独り言をいいながら仕事部屋へむかい、本棚をさぐる。求める本はすぐに見つかった。

『星の王子様』

表紙のキョトンとした王子様がかわいらしい。ぺらぺらと何ページか繰りつつ、仕事をするため彼はパソコンの電源をいれた。



END


***

何が書きたかったかというとね、うん、普通の日常が書きたかった(ヲ
 

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