R.A.P この土地にきてから、僕の目覚めはすこぶるいい。はっと目を開けばすぐに爽快だ。そうして三人並んだ真ん中に横たわる僕は静かに呼吸をして、他の二人が起きるのを待つ。待ちながら朝の静かな空気を満喫する。少し低い天井の木目を眺めたり、古びた染みを眺めたりして。 「ねえ、ねえ。ルド、ルドヴィゴ」 僕の右側にいるペリーヌが小さく声をかけてくる。顔だけをむけると、彼女は体ごとこちらにむけていてスカイブルーの綺麗な瞳で僕を見ていた。端整な顔。彼女は冬の朝が似合うと勝手に思っている。 「起きたの。まだ早いよ」 「あんたが起きてるからよ。私は人が起きると起きちゃうの。あんた寝ててよ」 「無理だよ。僕、ここにきてから目覚めがいいんだ」 「バカ」 しわ一つなかった綺麗な眉間にすっとしわが寄る。それさえも綺麗だと思う。透き通るように白いペリーヌの肌は、どんな動きにも柔軟に対応する。ごめんね、と顔だけで謝ってみたものの彼女は見ていなくてまだぶつぶつと文句を言い続けている。すると今度は僕の左で寝ていたはずのアットーニが急に起き上がって、僕らが三人で共有している大きなサイズの蒲団を一気に剥ぎ取った。 「朝なんだから起きろバカ女」 「何するの!風邪引いたらどうするの!」 「ルド、お前もバカ素直にこいつに付き合ってやんなくてもいいんだ。いい加減学べ」 「トーニ!」 ペリーヌのヒステリーにもかまわず、アットーニは剥いだ蒲団を手際よくたたむと自分の着ていたTシャツと短パンも脱ぎ捨ててすぐにシャツとスラックスに着替えた。僕も、もう完全に起きた体を伸ばして起き上がる。ペリーヌはまだ文句をいいながらもしぶしぶ起き出す。いつもの光景、いつもの朝。自然と嬉しくなってふふん、と、笑みがこぼれた。この土地に来てからみんな変った。 ペリーヌとアットーニが朝食の準備をしている間に、僕は家中の雨戸をあけてまわる。 蒲団の中であたたまっていたはずの足の裏は、板張りの縁側をするすると滑るように歩けばすぐに冷えてしまう。けれどそれがいい。僕は冬の朝が大すきだ。やっぱり板でできているふるい雨戸を開ける。たてつけが悪くて、すんなり開くところは少ないけれど、格闘した後に雨戸の向こう側から差し込む朝の太陽はすがすがしい。肌に突き刺さる空気、だから朝日が美しい。朝もやの中、まだ低い位置にある太陽は幻想的で、僕らと同じ目線でいてくれる。 この家はほぼ正方形で、家全体を囲むように縁側がついてる。この土地の伝統的な家の形らしい。前に住んでいたところは、アパルトマンだったからもっと狭かったしなんていうのか殺風景だった。三人で暮らすには、この家は少し狭い気がするけれど、あの何もないアパルトマンより僕は大好きだ。三人で並んで寝るのも、テーブルを三人で囲んでご飯を食べるのも。 僕は玄関の隣の部屋から出発して、もう片方の隣の部屋でゴール。そうするといつもアットーニがその部屋で待っていて、今日はネクタイを締めながらその大きな手で僕の頭を撫でてくれる。 「飯だ」 「うん」 食卓に移動。台所とテーブルがある部屋だけは洋間で、ここだけはフローリング。ペリーヌは先に座ってトーストを食べていた。昨日の夕飯だったポトフとサラダと、トースト。真ん中にはコーヒーメーカーと紅茶のポット、バター、ジャムがおいてある。 「今日、晴れるな」 アットーニがコーヒーを口にしながら外を見る。僕も釣られて右に顔を向けた。ガラス戸、縁側、ガラス戸、の向こうには板塀と隣の家の屋根と少しの空。うん、とかすかに頷いた。ペリーヌは、寒いからいやだ、と歯をカタカタ鳴らした。足元にはヒーターを置いてあるのに、彼女はまだ寒いとうなる。猫みたいだなと思うと少し笑えた。 「晴れると、芝生がキラキラするんだよ」 「ああ、そうだな」 「どうでもいいわよ、寒い」 いつもこんな会話をして、いつも同じような朝ご飯を食べて、いつも同じ顔をそろえる。 ペリーヌが着替えて、アットーニが彼女に化粧をし―アットーニは手先が器用で、すごく綺麗に化粧をしてくれる。僕はそれを眺めながら朝ごはんの食器を片付ける―、二人は家を出る。僕は彼らがどんな仕事をしているのか知らないけれど、そんなことはどうだっていい。同じ時間に家を出て、同じ時間に帰ってくる。それでいい。 二人が出て行ってしまって、僕は家事をこなす。洗濯機をまわしながら掃除機をかけて、縁側には雑巾だってかける。家をぐるりと一周したころには洗濯も終わるから、カゴにいれて庭にでる。夜露か朝露か、霜か、よくわからないけれど僕の視線よりも少し上、板塀からやっと顔を覗かせるぐらいの低い位置にある太陽の光をうけて、庭の芝生がキラキラ輝いている。理由はとくにないけど嬉しくなる。朝だ。 板塀の向こう、隣の家にするむタカミザワさんの家から甘い匂いも漂ってくる。毎朝、この甘い匂いをかぐとますます朝なのだ、という気になる。少しあたたまった空気になんとなく余裕を感じながら、ゆっくり丁寧に洗濯物を干していく。 「ルドくん」 寝室に使っている部屋から蒲団を運んできて、日当たりの良い縁側に広げ終わるのを見計らっていたのか板塀の向こうからタカミザワさんの奥さんがこちらを覗いていた。 「おはようございます」 「おはよう。ねえ、パウンドケーキ焼いたんだけど、召し上がらない?」 「今日は?」 「紅茶と、チョコレートと、マーマレード」 「いただきます」 「じゃあ、用意してるからいつでもいらして」 奥さんは微笑んで、家に引っ込んだ。一昨日、アットーニが作った苺のジャムを一瓶もって、家を出る。 「素敵なジャムですこと」 タカミザワさんの奥さんが微笑みながら、アールグレイをいれてくれる。ふんわり漂うベルガモットの香りが鼻に入ってくる。めいっぱい吸った。テーブルの上にはミルクティー味、チョコレート味、マーマレード味のパウンドケーキが並んでいる。ふっくらとしていて、つやがある。見るからにおいしそう。奥さんま毎朝何かしら作ると、僕をこうして招待してくれる。 白磁のティーカップに紅茶が注がれる。 「きっとミルクティーのケーキに塗って召し上がったら格別でしょうね」 「いただきます」 「ええ、召し上がって」 奥さんは蝶々みたいで、ずいぶんエレガントだ。僕が知っている女性っていうのはペリーヌと奥さんぐらいで、別にペリーヌが女らしくないとは言わないけれど、奥さんとは随分違う。 「アットーニさんも、ペリーヌちゃんも、お仕事?」 「はい、夕方には帰ってくるんですけど」 「そう、待ち遠しいことですわね」 頷きながら、ジャムをケーキに塗って食べた。おいしい。奥さんに向って微笑むと、彼女も微笑み返してくれた。綺麗な人だけど、やっぱり歳は隠せないみたいで、しわが目尻や口の脇に集まる。それでも、それさえもかわいく見える。 「旦那さんもお仕事ですか」 「ええ、そうなんですの。あの人、仕事熱心でしょう、だから、めったにおうちにいないんですのよ。それに子どもたちも遊んでばっかりですからね、わたくしいつも一人で寂しいんですのよ。ご迷惑じゃなかったら、またルドくんのことご招待してもよろしいかしら?」 「嬉しいです」 そう答えると、奥さんは嬉しそうに微笑んだ。 さすがにケーキを二人で全て食べることはできなかったので、三種類ずつ半分もらってきた。帰り際、奥さんは僕を送ってくれたけれど、玄関に向う途中である部屋のふすまがあいていて、ちらりと中が見えた。仏壇があって、遺影みたいなのが三つ、男性のものと子どもが二人。 僕はそれが、奥さんの旦那さんと子どもたちだってことを、随分前から知っている。けれど、彼女のときは止まってしまっていて、毎日同じことを繰り返す。同じことを僕に言う。 昨日だって、アットーニとペリーヌのことを聞いて、僕をまた招待していいかを尋ねて、微笑んでいた。違っていたのは、パウンドケーキじゃなくて、バナナとキャラメルのマフィンと、ミルクティーだったこと。 家に帰って、縁側に座ってぼんやりと過ごした。冬の空は高く、青々と澄み切っている。空気が冷たいとすべてが凛として見えて、すべてが尊いものに見えるからいい。日が当たらなくなれば縁側を回って、日当たりの良い場所を見つける。家を縁側がぐるりと囲っているのは、つまりどこでも日当たりがいいってこと。僕は猫みたいに、冬のやわらかい日差しを全身に浴びる。 昼寝をしていたらいつのまにか夕方になって、洗濯物が冷えてこないうちに取り込む。蒲団もたたんで寝室に運んだ。一苦労だけれど、今日の夜あたたかい蒲団で、三人並んで眠れることを考えるとやらずにはいられない。 「ただいま」 ペリーヌの声がして、とたとたと廊下を走ってくる音がする。その後をゆっくりずっしり歩くアットーニの足音。外は寒かったのだろう、彼女の頬はほんのりピンク色に染まっていた。すぐに普段と変らない顔でアットーニがやってくる。おかえり、といったのにペリーヌは全然聞いていなくて、寒いだのおなかが減っただの文句を言うので、またアットーニが強い口調でいさめるのだけれど、どうもききめがない。いつものことだけれど。 「めずらしい、グラタンじゃないの」 「うん、今日はがんばってみた」 食卓につく。ペリーヌは本当におどろいたのだろう、口を半分開いたままでじっとグラタンの焦げ目を見ている。少し焼きすぎてしまったので黒いけれど、それでも香ばしいチーズのにおいがたちのぼっている。 「いただきます」 一口、二口、三口。おいしい。ホワイトソースを一から作った甲斐があった。にゅっとアットーニの腕が伸びてきて、彼はやっぱり無表情のままだったけれど頭を撫でてくれた。ペリーヌも文句も言わずに黙々と食べては、たまにふう、と小さなため息をついていた。そして優しい視線を僕に投げかけてくれる。 アットーニはまだ僕の頭を撫でていて、その手は怖いぐらいに大きくて優しくて、僕は泣いた。 食後、タカミザワの奥さんからもらったパウンドケーキを三人で食べた。やっぱり冷めても、ケーキはおいしかった。また今日も、奥さんが昨日と同じことを言っていたことを言うと、ペリーヌが 「あんただって、毎日、同じことを言う奥さんのことを報告するんだもの、彼女と変わらないわよ」 と一蹴したので、笑った。 ふわふわ、ほこほこする蒲団に、やっぱり三人で並んで入る。敷布団も掛け布団も、枕カバーだって太陽の匂いがする。アットーニが僕を見ないで、言う。 「あったけえ」 「うん」 そうして三人、目を閉じる。明日の朝ごはんはなんだろう、なんてことを考えていたらいつのまにか眠っている。 「ペリーヌ、ペリーヌ!寝るんじゃねえよバカ、死ぬな、死ぬな!」 アットーニが叫んでいる。最後は叫びすぎたのと涙で声が割れていた。重いまぶたを開ける。彼はぐったりするペリーヌを抱きかかえて、激しく揺さぶっているのに、なのにペリーヌは首をだらしなく垂らしたまま。彼女のツヤのあった金色の髪の毛が力なく、さわさわと揺れただけだ。 「ルド、ペリーヌが―」 「…ああ、昨日が山場、だったんだ、ろう」 力が入らないで、声も上手くでない。何日飯を食ってないだろう。唾液もとうに枯れ果てた。 この場所で生き残っているのは僕とアットーニだけになってしまった。ごみと死体。それしかないこの世界の片隅で、息をしている僕らの方が異端みたいだ。 アットーニはしばらくペリーヌの死体を抱きしめていたけれど、体温が冷めていくのに恐怖したのか少し乱暴に手放した。二人で、少し高くなったペリーヌの腕を動かして、胸の前で組ませた。まぶたも閉じさせる。そうして腐りかけた他のたくさんの死体の横に寝かせた。 一日、二日、三日。時間は引き延ばされたようにすぎていく。 アットーニも、僕も、何もしゃべらない。そんな気力がもう残っていないのだ。ただ呼吸をしている。なんのためなのかよくわらない。ぼんやりと、僕とアットーニ、どっちがどっちの腕を組ませて、まぶたを閉じさせるのだろう、なんてことを考えていたら、ペリーヌが死んだときに見ていた夢をはっきりと思い出した。 僕ら三人、あのときは同時におきて同時に寝ていたのに。 「ねえ、アットー、ニ」 答える気もないのだろう、視線だけを彼はこちらに向けた。ゴミ捨て場にも及ばないこんな場所で生活する僕らの顔は泥やよくわからない汚れでかなり汚いけれど、アットーニの目はグレイできらりと一瞬輝いて見えた。 夢の話をした。よくわからない土地の家で、三人で暮らしていて、隣にはちょっと変な奥さんが住んでいて、 三人で一緒に眠るのだ、と。 「そう、か」 「うん」 「おれ、も、さ」 「うん」 「ジャム、つくりたい、な。今、なら、ア、プリコット、の、ジャ、ム」 切れ切れになる言葉。僕は最期のアットーニは見なかった。空を見ていた。冬でもないのに、底辺から見上げる空は随分高くて白く、澄んで見えた。 アットーニの、やせ細った腕を動かして組ませる。一人でやるとどうしても不恰好になってしまう。ついでにまぶたはもう閉じなかった。無理にやってもよかったけれど、やめた。アットーニの澄んだグレイの瞳が空を見つめ続けている。 ペリーヌの横にアットーニを並べて、二人の間に入って横たわった。ここに蒲団があれば完璧なのに。せめて太陽だけでも。凛とした空気だけでも。願えば願うほど、黒くて高い壁に閉ざされたこの狭い路地は、じめじめと湿って生臭い空気が漂っているのを実感する。 そっと目を閉じた。 「ねえ、ねえ。ルド、ルドヴィゴ」 僕の右側にいるペリーヌが小さく声をかけてくる。 END *** 食い違ってそう…久しぶりのやつです。 幸せな日常が書きたかっただけなんだけどなあ。 (毎回言っている) |