目を覚ましたら君が当然のように寝ていて、
それはもちろん当然のことで、
僕は嬉しくて死にそうになりながら
同時に
悲しくて死にそうになった


歌いたい


「おはよう」

僕が涙を流すまい、とこらえて洟をすする音で目が覚めたのか君は眠たげな目でこちらを見つめている。ちょっと嬉しいのと、ちょっとの呵責でへなへなと笑うことしかできなかった。僕がベッドの上に上半身だけおこしているからか蒲団がめくれあがって肩が出ていたのがさむかったのか、君はゆるゆると蒲団の中にもぐりこんだ。僕も、まあ裸でいることは間違いないけれどそんなに寒くないので、そのままぼうっとする。最近は夜が明けるのがゆっくりになったなあ、なんてことを考えながら。無条件に悲しい気がしてきた。

「何、考えてるの」

今度は存外しっかりした声で、顔だけを出した君が尋ねる。くるくるの目。愛おしいね。さながら生首みたいで、もし君が本当に生首になってしまったら、僕は迷いなく死ねると思う。この世の、終わりだと思う。
愛しくて、何故こんなに悲しいのか、愛しい故に悲しいのか、また、泣くまいと思って洟をすすった。
なんでもないよ、と頭を撫でると君は猫が咽喉を鳴らすときのように目をほそくして、ふへへ、と笑った。



「じゃ、も、いくからね、うわあ遅刻」
「いってらっしゃい」

結局、蒲団の中でうだうだと過ごすせいで君はいつも時間ギリギリに家を出ねばならなくなる。僕が指摘したところで
「ヒロくんが起こさないから」
と文句を言うし、起こしたら起こしたで
「ヒロくん早いよ、あと10分寝られる」
と蒲団にもぐってしまうのだから、僕のし様はない。

それに君の小言を聞くのも楽しいけれども、それよりも朝のうだうだと過ごす君の顔を見るのも楽しいしそれに上乗せして幸せになるから、朝ご飯一緒に食べられないのは我慢しよう。
トーストを半分、コーヒーも半分だけ飲み下した君は遅刻遅刻とつぶやきながら飛び出していった。いつもいつも繰り返すのに、君のそういうところが僕は好きだ、と、直接に言ったことはない。玄関を飛び出してアパートの階段を下りる音がひどく響いて、そのうちお隣や階下の人から苦情がこないかひやひやしているのなんか、君は知らないだろう。

一人さびしく―君曰く”さびしい”というのは僕のためにあるような形容らしい―トーストとサラダを食べた。君が残したコーヒーも飲んだ。間接キス、などと少し子供じみたことを思う自分が少しおもしろくもあり、君への愛しさがいっそうましたようでもある。君が結局食べなかったサラダはラップをピンと伸ばして冷蔵庫にしまっておいた。レタスやキャべツは切ったらすぐに食べて欲しい。本当は。夜に持ち越すとまったく、おいしくはないのだから。


後片付けも器用にこなして―”器用”も僕のための言葉だと君は笑った―、さてと、と部屋の中を見回す。君は基本的にガサツだから、家事はぼくがやるし別に嫌じゃない。ずっと座ってパソコンに向かい合ってるぐらいだから、家の中でもこうして動いているほうがたまには気分転換になる。
太陽が高い位置に移動して、部屋を明るく照らす。白い壁はカーテンを通してはいってくる陽光をうけて、やわらかいクリーム色になっている。ふ、と、意味もわからない笑みがこぼれた。




大概の家事をこなして、昼になる前に近くのスーパーまで行く。歩いて十分。僕はこの道のりがとても好きだ。住宅街の中、少し開けた場所にあるスーパーの外壁は風雨にさらされて黒ずんでおり、だからこそ威風堂々としている。近所の奥さんたちが、二、三人で井戸端会議する会場になる、場所。僕はそこにたどり着くまでに色んなことを考える。

アスファルトの色、僕の足の指の長さ、サンダルの履き心地、コンクリート塀の落書き、電柱の染み、空に浮かぶ雲の形、今日のお昼ご飯のこと、夕飯、しばらくあっていない実家の両親、祖父母、お昼に来るといった宮下さん、宮下さんの上司の狩元さん、いつも一緒にいる君、僕と君との未来。考えることはどうでもよくて、愛おしくて、そしてやっぱり悲しい。どうせ、いつかはみんな死んでしまうのに、そうしていろんなことを考えたって残りはしないのに、僕らは。

今、こうして考えていること、感じていること、君を抱きしめたいと思う感じ、そういうもの全部とっておけたら覚えておけたらいいのにと思うが、もしかしたら忘れてしまうからいいのかもしれなくて、鬱蒼としげる思考の森に果てはない。僕はよくわからないけれど、記憶の糸や思考の糸はときに複雑にからまってはするりと簡単にほどけたりも、するのだ。




結局、行きはそれなりに楽しかったのだけれど、帰りはどうも暗い考えしか浮かばなくて無意識のうちに「とおりゃんせ」を口ずさんでいた。いきはよいよい、帰りは怖い。よくできてるなあ、なんて思いつつ。途中、顔見知りの主婦三人組に会釈をされたのでし返したものの、たぶん、顔はうまく作れなかったに違いない。

沈鬱な気持ちを胸に溜め込んだまま階段を上りきると、玄関前に立っている宮下さんの姿が目に入った。足音で気づいたらしく、あまり近づかないうちに彼女は僕の姿を確認すると無遠慮にずっと見つめてくる。見返すのも少し気が引けたので下を向いて彼女のもとにいってそこで顔をあげたが、彼女はずっとこちらを見ていたらしい。ふん、と鼻の穴を広げた。

「先生、どうしたんですか、暗そうな顔をして。その顔はいいやつかけそうですね」

僕は到底、出版社ことさら宮下さんのような敏腕の編集者にはなれないだろうと思う。人の不幸をネタにするとは、軽蔑や傷ついたというよりも、心底仕事に生きる人なのだと関心する。僕はそんなに仕事に生きることなんてできない。根性がない。だからこの職についている、のかも、しれないし正直どんなものだってよかったのかもしれない。

「君はいつも、人の不幸を」
「不幸なんですか、今更じゃないですか」

そういって彼女は笑った。快活な彼女は美しいとも、思う。



お昼はあったかい天ぷらそばにしようと思うんだけど、と提案すると、じゃあ待ってますね、と宮下さんはそのままキッチンのテーブルの席についた。確かに僕がお昼を食べてから打ち合わせをしようと前から言ってあったがそれでも、その堂々さたるや素晴らしい。君だったら、おそらく、何か手伝うよといっておろおろ僕の周りをぐるぐるしているのかもしれないが、宮下さんはその点、自分のできないことをわきまえている。大匙小匙も持ったことがないそうである。

天ぷらをあげる段になって、やっと彼女は立ち上がりちいさな歓声をこぼしながら僕の隣に立った。当たり前に小さい彼女は、それでも働く女性の顔である。その横顔や、肩にかかるミディアムヘアのつややかさがいつも琴線に触れる。そういう、凛としていて強い物語をかけたら、と、思うのだが上手くいかない。

「さっきの、不幸そうな顔はどっかいっちゃいましたね先生」
「人間は幸せが一番いいよ」
「そうですね。あ、」

どんぶりにそばとつゆをよそい、天ぷらもきれいにあがってテーブルに並べたときに彼女はふいにカバンの中から書類のような紙を取り出して、テーブルにキスをしそうなぐらい顔を近づけながら何かを書き始めた。いかにも彼女らしい、リズミカルな音が耳に心地よい。

「何、かいてるの?」
「え、ちょっと」

向かい側に座る宮下さんは顔をあげる余地もない、といった感じでとにかく必死に書き付けている。両手にそばのどんぶりをもったまま覗いて見ると、茶色い印字で「婚姻届」としるしてある。えっ、ええ、と驚嘆の声をこぼすと彼女は自分の欄を書き終えたのか満足げな顔でこちら見た。そしてどんぶりを何気ない顔でうけとる。

「なんでこんなとこで、書くの、そんな大切なもの」
「大切か大切じゃないかなんて、個人の価値観ですよ」
「宮下さん、でも、僕の家のテーブルに油がとびちってて、それこそ今日は天ぷらなんだからせっかくの届に油のしみなんかついちゃったら、君、だめでしょ、よかった今朝拭いておいて」
「先生、結婚なんて油のしみ一つぐらい許せないと続きませんよ」

結婚をしたことなんてわからないのでなんとも言えないが、あっけらかんと答える彼女は頼もしくてそれもそうかという気がしてくる。それ以上結婚届の話をすることはなかったが、正直相手が誰なのかとか、このさき編集の仕事をどうするのか、とかもろもろのことが気になっていたが、海老の天ぷらを美味しそうにほおばる宮下さんはいかにも豪快で、やっぱりそういうこともどうでもよくなってしまう。



ご飯を食べたあとの打ち合わせでは、結局そんなに話も進まなかったが今度は書き下ろしで書くということが決まった。そうだねえ、と生返事をしながら、午後の優しい陽気がいっぱいになっている部屋中を見回す。打ち合わせは場所を変えてリビングでやっているのだが、ここちよくて眠ってしまいそうになる。

「なんか」
「なんですか?」
「日の光って、最初は白いけど次は黄色くなって最後はオレンジ色になるよね」
「ああ、なんか分かります。夕日までの段階ってそういうグラデーション」
「そう。僕、今の時間帯の山吹色みたいな感じがすごく好きだな。朝の光は青白くてさわやかだけど昼の光はあったかくて優しい。最近、日が傾くのが早くなったから余計かな」
「先生、いいじゃないですか」
「ん?」
「そういう感性。やっぱ次は書き下ろしですねえ」
「そう?」

日が傾くのが早くなった、と自分で言ったからか外に干したままのシーツが気になって立ち上がる。洗濯物たたきってなんでこんな形なんだろうねえ、とベランダに出ながら宮下さんに尋ねてみると、そうですねえ、と対して考えてもないような答えが返ってきた。

こうして他愛もないことを話し、考え、たまに行き詰ってまた繰り返す。
僕らは。ほどけて、からまって、どうせすぐに忘れてしまうようなそういうことを、繰り返す。



「先生」

夕方になって宮下さんは帰る支度を始めた。結局今後のスケジュールの確認をしただけだ。彼女は玄関先で黒いパンプスに足を滑り込ませながら笑顔で言う。

「今度結婚する相手も、私はもちろんですけど、先生の作品が好きなんですよ」
「ああ、それはありがとう」
「とくにね、先生の『不幸』のあり方が」

思わぬ答えにふいてしまった。が、彼女はいたって真剣なようで、笑顔だがしゃべる熱はそのままにまだ話す。

「先生の『不幸』ってどこにもあるような、とてもありふれたもので、それをああやって描けるのはすごいっていう話です」
「自慢するような『不幸』でもないよ」
「だから、いいんです。先生いつも不幸そうだけど」
「薄幸の美少年かな」
「もうすぐ中年でしょう」

それもそうだな、と苦笑すると宮下さんはけたけたと笑いながら出て行った。結婚したら、彼女の苗字はかわるだろうがなんと呼べばいいのか、聞きそびれてしまった。





君が帰ってくるのはだいたい8時ごろで、いつも真っ先に風呂に入る。僕はその間に夕飯の準備をする。今日は冷えるからあったかいうどんにした。昼はそばで夜はうどん、僕は麺類がとても好きだ。ちょうどまだ天ぷらの材料も油も残っていたから楽に作れる。

「あああ、ちょういいにおい」
「ん、天ぷら」
「さいこー!ビール飲もうよビール」

頷く前に君は棚からグラスを二つと、瓶ビールを一本取り出した。お酒が弱いくせに、お酒が好きな君はとても嬉しそうに栓抜きを扱っている。いつもその顔が見られたら、と願うたびにこんなにも胸がしめつけられるほどに愛おしくて悲しくなるのを、知らないだろう。



僕らは生きている。僕らはいつか死ぬ。
当たり前のことを繰り返し、繰り返され、それに抗うことができないということだってわかっている。
僕らは唯一で、僕らはちっぽけで、何にも優劣はつけられない。

なのに君が一番愛おしくて、同時に悲しくなって、やっぱり愛しくて

こうして時間はすぎていくのに、僕らは一つ一つをつむいで自慢するほどでもない『不幸』にめぐり合って、そうしてまた『幸せ』になって、それもすぐに忘れて、同じことを何度も、何度も。




気づいたら涙が零れ落ちていて、君は呆然として僕を見つめていた。口に運ぼうとしていたグラスが止まっている。
一度涙が流れると止まらなくなる。いい年してこんなにぼろぼろと泣いてしまうとは少し笑えたが、嗚咽が止まらない。

「な、どうしたの」
「…っ、なんで、も、な」
「なんでもなくないでしょ、なに、なに?テレビ?」

たまたまやっていた番組が、闘病の末に死んでしまった子供の特集だったので君はそれで僕が泣いたのだと思ったらしい。確かに涙もろいし、君だって涙ぐんでいたのだって、知っているが。

「そう、じゃ、っない、」
「え、何?」
「結局、忘れる、のに」
「え?」

ふああ、と自分の口から情けない声がこぼれてそれが恥ずかしくて両手で顔を覆った。手のひらを自分の涙がしとしとぬらす。深呼吸をするが咽喉がくっついてしまったかのごとく、上手く息もすえない。苦しい。弱弱しい吐息だけが口から漏れる。

君が愛しい。
けれど
それさえも忘れてしまう、自分が、いつか忘れてしまう自分が、悔しい。悲しい。




「行こう」

急に手を引かれて顔をあげると君はジャージに着替えていた。いつのまに、という疑問もすっ飛ぶぐらい力強く引っ張られてよろめきながら部屋を出る。
外はとっぷり暮れていて、群青色の空には二、三個の星が輝いていた。久しぶりに夜空を見た、なんてことを悠長に考えられていたのも最初だけで、君の走るスピードに僕はだんだんとついていけなくなる。汗がこめかみからたれてきた。泣いていたのと、動悸とでさらに苦しい。君は、そういえば高校も大学も陸上部にいたっていつか言っていた。対する僕はずっと文化部だし、今となってはほとんど室内で文字をつづっているのだから運動不足も甚だしいところなのに、君の全速力についていけるわけがない。腕を引いているから、君の方がつらいだろうに、スピードは衰えない。ただ、お互い握り合っている手のひらは同じぐらいじんわり汗がにじんでいた。

どれだけ走り続けただろう。僕らは近所の公園の、街を見下ろせる丘の上に来ていた。
街の明かりで星は見えないが、その代わりに家々の窓から漏れる明かりがきらめいている。君も僕も膝に手をついて、息を整える。君は割合にすぐに起き上がったが、僕は、できるならそこらへんに寝転がってしまいたいぐらいだ。

「涙、止まった?」
「ふ、あ、の、ね、な、みだは、とまった、けれ、ども、今度は、汗が」
「あ、はは、もう少し、運動しなさい。だから、ヒロくんはいつも」

君はそこまで言うと黙ってしまった。僕はやっと顔をあげる。すると君は以外に僕の近くに立っていて、額から流れる汗をぬぐいもせずに強い瞳でこちらを見据えていた。何かを言おうとしていたのだが、自然に口を閉じた。
不機嫌そうに、不服そうに、それでも君は美しい。
だから、僕は、君が好きだ。

「広樹、何か言ってくれないとわかんないよ。俺、できた人間じゃないし、広樹ほど頭もよくない。けど、それでも、広樹のことが一番好きだよ」
「うん、うん、うん」

君は僕を抱きしめる。僕も抱き返す。

僕らは生きている。僕らはいつか死ぬ。
当たり前のことを繰り返し、繰り返され、それに抗うことができないということだってわかっている。
僕らは唯一で、僕らはちっぽけで、何にも優劣はつけられない。

だからこそ、『不幸』も『幸せ』も、個人の尺度でしかない。

そうして僕は、幸せで、この幸せをすぐにでも書き留めておきたいとも思う。






「ふーん…やっぱヒロくんは難しいことばっか言う」
「そうかな」
「そうだよ。全然わからん。しょうがないじゃん、人間は忘れる生き物だって聞いた」
「どこで」
「さあ、忘れた」

びっしょり汗をかいてしまって、シャワーを浴びたあとにもう一度仕切りなおしてビールを飲みながら二人して笑った。ふと、君はまじめな顔になる。

「こうして二人で笑ってんのは幸せ、ケンカしたら不幸せ。何度も何度もそう感じるのは忘れるからかな。どうせ忘れるんだからっていって、幸せ不幸せを感じないってのも、変な話だよ」
「そうかな」
「そう。絶対そう。俺なんかさ、仕事して外回りしてるとヒロくんのこと忘れてる、けど、帰ってきてヒロくんが『おかえり』って言ってくれるあの瞬間、毎日毎日やってても幸せだって思うもの」
「それはどうなんだかな」
「すねないでよ」

君は笑って、ビールを一口。コップ一杯も飲んでいないのに君は顔を真っ赤にして笑う。僕も釣られて笑った。

今度の書き下ろしは何を書こう、と思いながら、コップにビールを注いだ。


END


***

リクエストだった「ランクヘッドの歌で小説」ということだったので
今回はアルバム『AT0M』から「歌いたい」を使いました。
なんかもうだんだんかいていて「もういいじゃないビーハッピー!(c)ヤマシタトモコ」という境地です。
なにげなーく出てきてますが二人はゲイで、主人公小説家っていう時点で
私はどれだけヤマシタトモコが好きなんだろう、という感じでした。いいのかな。いいよね、みたいな。
リクエストには答えられたでしょうか。。。
歌からは大分それてしまったような気がするのですが、寛容にうけとってくださると…嬉しいです…
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