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月と手のひら
ふと雪かと思って目を疑ったが桜の花びらだったようだ。四月も中旬になれば桜が散り始める。歳だろうか。
正樹は自分の頬をパシリとたたき、保育園の明かりが煌々と点る一部屋に向かう。
「あ、パパァ」
「まぁちゃんごめんな」
「こんばんは」
「あ、どうも」
娘の真琴が眠そうに目をこすり正樹の足に抱き着いてくる。保育士は笑顔だが、何か言いたげだ。正樹にもそれはわかっている。
「あの、日下部さん」
「はいなんでしょう」
「お迎えのことなんですが、お母様に頼んではいかがでしょう?駅からここまでお通いになられるのは大変でしょうし、あまりこの時間を過ぎられると園としてはいいのですが、真琴ちゃんにはよくないかと…」
言われて時計に目をやる。確かに迎えの時間はとうに過ぎているし、あの短針についたうさぎの耳が8と9の間にあるのを何回見ただろう。8より前にあるのなんて最近めっきり見ていない。
「パパもう帰ろうよ」
「ん?ああそうだな、帰ろうか」
「先生さようならぁ」
「はい、さようなら。日下部さん、少し考えてみてくださいね」
正樹は気のない返事をして園を後にした。
妻の玲奈が死んで二年になる。まだ玲奈が生きていたときに子供が生まれたら楽だからといって、保育園の近くに住んでいたが玲奈が死んでからは、正樹の実家近くのアパートで暮らしている。そこからは保育園も会社からも遠いが、せっかく保育園に馴れた真琴がかわいそうだから以前の保育園にそのまま通わせている。行きは正樹が送っていき、迎えは正樹の母親に頼んである。ただ金曜日だけは正樹が迎えに行くことにしている。
「もう疲れたぁ―」
それに続く言葉が「この生活に」だったらどうしようと正樹はひっそり心を揺らす。ママチャリにつけたチャイルドシートに真琴を乗せて腕時計に目をやる。9時すぎだ。真琴はいつもならこの時間に寝るのだろう。疲れるのもあたりまえだ。
俺だって疲れたさ。正樹はうっかり口にしそうになって頭をふった。と、ふと思い付く。
「なぁまぁちゃん、ちょっと寄り道しようか」
「寄り道ィ?する―!」
「寄り道」という言葉を聞いて目を輝かせた真琴を乗せ、今では大分馴れたママチャリに跨がる。
本当は車で送れば時間に余裕も出てくるし最寄の駅まですぐだが、ママチャリでよかったと正樹は思う。風が心地よいのだ。
真琴を連れてきたのは高台にある公園の展望台だった。ここからだと町が一望できる。よく玲奈と二人でデートの帰りによった場所だ。正樹は真琴を肩車してやり、町を臨んだ。真琴はきゃいきゃいと喜び、正樹の肩から下りると辺りを走り回る。
四月とはいうものの冷えるからか、それとも街頭のせいか、真琴の頬はほんのり桜色に染まる。正樹はふいに涙が目に集まってくるのを感じた。
あとどれぐらいこうして一緒にいられるだろう。
あとどれくらい手をつなげるだろう。
あとどれくらい笑っていられるだろう。
今度きた昇進の話断ろうか―
気付くと走り回っていたはずの真琴が目の前にちょこんと立っていた。
「パパ、真琴はね、寂しくないんだよ」
「ん?なんで?」
「ばあばは寂しいねって言うけど真琴ちっとも寂しくない。だってママはいつも真琴にいるの。パパいつも真琴がママに似てるって言うでしょう。それにパパはいつも真琴と一緒にいるから大丈夫なの。だからパパが寂しかったら真琴がいるの。ママもいるの」
真琴は一息にそれだけ言うと小さな瞳から涙をポロポロこぼした。正樹も耐え切れずに涙を溢れさせた。泣いたのは二年ぶりだった。
「よし、まぁちゃん帰ろう」
正樹は颯爽とママチャリをこぐ。真琴が少しぐずりはじめた。
「ねぇすぐ―?」
「あと少し」
「あと少しってどれぐらいよ―」
最近は酔っ払ったOLみたいな口ぶりだ。正樹は、お袋に真琴に見せるテレビは気をつけてくれと言わないとな、などとおもいながら、もう一度ペダルを強くこいだ。
END
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前のやつと大分かわってしまったような…
まあいいです(泣
ランクヘッド「月と手のひら」より。大好きです。
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