横浜リリー



「リカ?」

横浜のホテルの一室で、シーツをまとったままの女にシャワー室から出てきた男が声をかけた。女―リカは何かとても苦しそうな顔で外を見つめている。男はリカの隣に腰を下ろした。ベッドの軋みに気付いてリカは男の方に顔をむける。

「横浜ってキレイだろう。港町って感じがさ」
「私はあんまり好きじゃありません」

男はあらわになっているリカの首筋に軽くキスをする。

「そういえばリカは前に横浜に住んでいたんだっけ?」
「昔です。昔。ねえ、芝さん」

リカはさっと立ち上がり、男―芝を振り払うと服を手際よく身につける。あっけにとられているのは芝だ。

「どうしたんだ、リカ」
「もう終わりにしましょう。職場の人にも奥さんにも言わないから」
「え、リカ?」
「失礼します、芝課長」

ブーツのファスナーをきっちり上まであげると、リカは部屋を出た。

何故自分は、好きになる人とは一緒になれないのかと溜息がリカの口からもれる。ホテルを出たところでタクシーをつかまえた。

「どこまで?」
「―――まで」
「随分遠いところですけど、高速はどうされますか?」
「お願いします。できるだけ早くに」

タクシーがゆっくり発車する。リカはできるだけ景色を見ないよう視線を下げた。

「お客さん、知ってます?本牧(ほんもく)にはむかし―・・・」
「すみません、寝かしてもらえますか」

そう断ると運転手は「わかりました」と言って口を閉じる。リカは「ほんもく」と息で言うと今度は目を閉じた。



そう、これはまだ私の髪が長いころの話。



大学三年の秋、私は住んでいるアパートから程近い横浜の小さな花屋でアルバイトをしていた。それは忘れもしない9月11日の早朝。その日は店のご主人が風邪を引いて寝込んでいて、それに休日ということもあったから私は開店の大分前から店を手伝っていた。花の入ったバケツを店の外に動かしているとき、不意に声をかけられた。

「なあ、花束作ってもらえるかな。」
「すみません、まだ開店前なので―・・・」

声の主は背を向けている私の前にぬっと出てきた。ツンと鼻をつくような整髪量の匂い、黒地に白のピンストライプのスーツ、白いワイシャツ。髪の毛をゆるくオールバックにした男の人だった。二十五か、六歳。格好のわりには幼い顔をしている。

「頼むよ、姉ちゃん。時間ないんだ。金なら払うからさ。」

そういって彼は一万円札をばらばらと何枚かレジ台の上においた。

「いや、困ります。ちょっと待ってください。奥さんよびますから。」

奥で働いている奥さんを呼ぼうとしたら、また彼に前に立たれてさえぎられた。

「時間がないんだよ。さっさと作ってくれたらそれでいいんだ」

私はその勢いに気おされて結局つくることにした。

「じゃあ、なんの花がいいですか?」
「女の好みはわかんねえからな。姉ちゃん適当に作っといて。」
「はあ・・・」

彼はそう言って花束を私に任せると店内を物色し始める。私は花をいくつかとりながら、彼のことを観察する。
目は細く少し釣り目で、正直人相が悪い。けれど声は優しくて、瞳もきれい。スーツは大分長く着ているようで、足元がほつれていた。

「あ」

突然、彼は声をあげるとつかつかと近づいてきた。私は観察していたのを怒られると身構えたけれどその必要はなかった。

「あのさ、このちりちりのやつ。」

彼は、私が花束にいれようとしていたカスミ草を一本もつと、左右に振った。

「カスミ草ですか?」
「そうそう。これ、たくさんいれてくれる?」
「わかりました。」

返事をすると彼はうれしそうに頷いてまた店の中を見て歩く。

しばらくして、かなり大きな花束ができてしまった。福沢諭吉数枚分だから仕方がない。レジ台にのったその花束をもつと、彼はすっぽりと隠れてしまった。

「ありがとな。また来るよ、ここ。」
「ありがとうございました。」

それが(たもつ)との出会いだった。それから保はたまにうちの店に現れて、三度目のときに食事に誘われた。


「絶対に、リリー。」

保は夕食を食べてから、私のアパートに送ってくれるまで終始そう言ってきかなかった。

「全然関係ないです。私、リカですよ。」
「んなもん『リ』がついてんだからよ。リリーだろ。横浜住んでるんだし。」
「だから、関係ないです。キザな人みたい。」
「男はキザで何ぼやろ。」

そう言って保は笑った。それからというもの、保は一週間に一回とか三週間に一回とか不規則な回数で花屋にやってきた。そのたびに

「リリー、飯食いにいこうぜ」

という。私はそれを心待ちにしていたのだけれど。



初めて会ったあの日から三ヵ月後、私たちは付き合うようになり、保は私の住むアパートの部屋で寝泊りすることが多くなった。そうは言っても私たちの付き合いは不安定で、下手すれば付き合っているなんていえたものじゃなかった。
私が大学やバイトから帰ってきても保はいないことの方が多かったし、けれど昼間はたまに帰ってくるようで、灰皿の吸殻で判断していた。

大体、保のことについて知っているのは名前ぐらいだったかもしれない。誕生日とか血液型とか、どこに住んでいるのか、とか、私は何も知らなかったし、特に仕事については保は一切なにも言わなかった。
けれど私は保が好きだったのだ。何を知っていて、何を知らないかなど問題ではなくて、たまに不思議な方言を話す、笑顔が子供みたいな保自身が好きだったから。

それに全くわからなかったわけじゃない。

保がお風呂に入っているときにチラリと見えた背中の絵。極彩色の鳥だった。おそらくそれの所為だろう、あたしとするときは必ず電気を消したし、終わったあともすぐに服を着ていた。たまにワイシャツに赤い染みができていて、理由を尋ねると、ワインが飲めないくせに

「ワインをこぼした。」

というし、顔によくできるきり傷や痣について尋ねると

「男の勲章だ。もうすぐこれ以上ないぐらいのイイ男になってやるよ。」

と、へらへら笑って答えた。嘘だってわかってた。だけど、それはあたしへの想いなんだと思うと見逃さずにはいられなかった。幸せだったから。



それは私が大学四年になって、保がうちにとまった六月の蒸し暑い夜のことだった。隣に住むおばさんが作りすぎたからといって、夕飯のおかずを分けてくれた。噂話が好きなおばさんで、色々なことを早口で話したあと、最後に少し声を潜めた。

「なんでも、本牧の方でこっちの人たちがもめてるらしいけれどね。」

そう言っておばさんは頬に人差し指で一本線を引いた。ヤクザの人の話。私はドキリとする。本牧はそんなに遠くない。思わず奥の部屋にいる保を振り返った。生憎、玄関からだと姿は確認できない。

「まあ、よくわかんないけどねえ。」
「そ、そうですね。」

おばさんは最後に部屋をちらりと覗くと、帰っていった。

「声のでけえババアだな。」

部屋にもどるとすぐに保がそう言った。私はドキドキしたまま、話を変えるのに必死になる。

「隣からでもよく声聞こえるの。噂話が好きだから、もしかしたら保のことも言いふらされちゃうかもな―」

保は険しい顔をしたままテレビを見つめている。私はそれ以上何も言えずに、心臓が早く落ち着いてくれることを祈っていた。



「保、待って。どこにいくの。」

次の日の朝早く、保はしばらく携帯電話を見つめていたかと思うとすぐに布団から出て、いつものスーツに着替えると玄関に立った。私は寝たフリをしてその様子をうかがっていたけれど、耐え切れずに声をあげて起き上がった。

「なんだ、リリー起きてたのか。」
「私が聞いてるの。どこにいくのよ。」
「・・・タバコ買いに行くだけだよ。そんな朝から怒るなや。」

彼は苦笑いをして部屋をでようと、ドアノブに手をかける。その腕を掴んだ。

「本牧なんかに行かないよね?」
「なんで本牧なんかに・・・」
「じゃあここにいて。タバコならあたしが買いに行く。」
「バカ。お前、そんな格好で行けねえだろ。寝てろ。」

そう言って私の腕を優しく払い、ニッコリ笑った。

「すぐ戻ってくるっての。」
「約束だからね?ちゃんと帰ってくるのよ。」
「俺は三歳児か。」

ドアが開く。まぶしくて、外がまぶしくて、保の顔がわからない。私の目からぼろぼろと涙がこぼれた。

「じゃあ、またな。リカ。」

わかってたつもりよ。だけどあんまりでしょう。どんなバカらしい嘘だって私は見逃してきてあげたのに、最後の嘘がそれって何なの。「じゃあ、また。」なんていう嘘を見逃せっていうの?なぜ、最後にリカと呼んだの?まるで私から離れるみたいに―




八月も終わりに近づいて少し涼しい夕方、警察から電話があった。
保の死体が見つかったらしい。保の死体の手の中に私の名前と携帯の番号がにぎられていたから、と担当の刑事は口早にそう言った。

「さすがに変死体なので、お見せできませんが、遺留品でご確認を・・・」

そういってさしだされたのは、彼がいつもつけていた銀の腕時計だった。

「我々が調べてわかっていることはおそらく、俗に言う暴力団の抗争で―」
「聞きたくありません。」

そのまま警察をあとにした。




「俺、将来は普通に結婚して、子供は9人でええな。野球やったろ。」

四月の初め、保はアパート近くの川にかかっている橋の欄干に腰掛けてそう言った。そのころ私は大学四年で就職活動などの準備が忙しく、保と会うことは滅多になかったのだけど、その日の朝に彼が突然やってきて私のことを起こし、橋まで連れ出したのだ。

「随分平凡な夢だね。」
「いいんだ、それが一番だしな、この世の中。」

そう言って保は笑った。その顔は随分幼くて、六月のあの夜の険しい顔を見せた保と同一人物だとは思えなかった。あの夢さえも、嘘だというのだろうか。




すっかり疲れてしまい、警察署から帰って着た私は部屋の前に誰かいることにもすぐには気付かなかった。けれどよくよくあたりをみると、駐車場にはいかにも高級そうな黒塗りの車が停めてあって、勝手に口からため息がでた。
部屋の前にいたのは大柄なスーツを着た男と、それとは対照的に小柄なおじいさん。けれどおじいさんにはなぜか威厳みたいなものが感じられて、黒の紋付袴がよく似合う。私が階段を上っていくと、おじいさんは丁寧にお辞儀をした。






「お客さん、着きましたよ。」

その声でリカは目を覚ました。懐かしい夢を見ていた。今、この場所でリカのことを「リリー」と呼ぶのは誰もいないし、もとから「リリー」と呼ぶのは保しかいなかったのだから。
リカは就職面接の最終決定で、横浜から出ることにした。あの、紋付袴を着たおじいさんにもそれを勧められた。

「保はな、わしをかばって死んだのです。申し訳ない。そしてそんなわしが言う筋合いもないだろうが、あんたさんはここから出た方がいいでしょう。何かと危なくなるでしょうから。わしらみたいなモンは、こうやってすぐに居所を突き止められますからな。保がにぎっていた紙も見られたかもしれん。わしが保のためにできるのはこれぐらいです。
あいつが買ってきた大きな花束、あんたさんが作ってくれたんだと聞きました。わしの孫の誕生日に保が買ってきたんだがね、あいつがうれしそうな顔をしとりましたよ。イイ人にあえた、と言ってね」

リカは思う。
きっと「仁義」を大切にする人たちは嘘のことを言うのも、真実を言うのも上手いのだろう。

タクシーから出て部屋にもどると同時に電話がなった。友人からだった。

「ちょっとリカ?ずっと電話してたのに出ないから。最近あってないから心配してたのよ。」
「ありがとう、でも大丈夫よ。」
「ねえ、うわさで聞いただけだから悪く思わないでね?あんたがヤクザの人と付き合ってるって聞いたのよ・・・」

少しの沈黙。リカはすっと息を吸い、右手の親指の爪で右手の人差し指の腹をかいた。よく、保がどうしようもない嘘をつくときのくせだ。

「本当よ。けど、もう別れたの。あたしのことなんか捨てちゃってどっかで人でも殺してるんじゃあないの。」
「は?リカ?何言って・・・あんた、泣いてるの?」
「泣いてない。ただね、嘘が下手な人だったなあって思って。」

そして自分も相当無茶な嘘をついたものだ、とリカは涙をぬぐった。

END

***
ポルノグラフィティ「横浜リリー」から。
歌詞カード見ただけでぐわーっと書いてしまったのですが。
しかし本当にポルノはすごいなあってしみじみ思いました。

こういうの、絶対ドラマ化したらいいと思うよ!(ぇ
別にこの小説ってわけじゃなくて「横浜リリー」を。
ぐっと考えた結果、リリー:篠原涼子 保:竹之内豊
ってどうですか。うん(自己満足
あ、でもそういえばリリーって百合って意味だったね?

 

 

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