猫は月に還る 「ゆかさん」 さじくんは眠そうな声で、私に擦り寄ってくる。 それはまるで猫みたいに。 やわい茶色い髪の毛や、すけるほど白い肌も それはそれは御伽噺の中みたいな美しさ。 私の顔には、大きな火傷の痕があって、醜くて。 彼とは正反対。 それなのに、さじくんは優しく私の頬を撫でる。 「月に照らされるとね、ゆかさんの頬が 淡いピンク色になってね、綺麗だよ」 彼の長くてしなやかな指は私を落ち着かせる。 「さじくん、猫みたいね」 「オレ、生まれ変わったら猫なりたいな」 私にもたれかかって身をゆだねたさじくんは、つぶやく。 髪の毛をなでると気持ちよさそうに目をつぶる。 「似合ってるけど、なんで?」 「月が、好きだから。猫って月夜って感じだろ?」 「わかんないよ」 彼は説明しようと考えていたみたいだけど 結局なにも言わずに、目をつぶったままだ。 窓の外には月が、しずかに輝いている。 ___ ごめんね。 「別れたいの」 電話越しに聞く君の声は、僕も泣きたくなるほど震えている。 だけど、それは僕のせいなんだね。 「なんで」 「ごめんね、もう、駄目だよ」 最後のほうは声が聞こえなかった。君は泣いている。 きっと僕の知らないところで泣いていたように、今、泣いている。 「悪いところあったんだったら直す―」 「あなたが悪いんじゃ、ないんだよ。 私が、私が言わなかったのが、駄目だったんだ」 何を言っても君は拒否をした。 僕は今、傷ついているけれど でもきっと、君は今の僕以上に傷ついていたのかな。 わかってあげられなくてごめんね。 傷つけてごめんね。 「好き、なのに」 「好き、だったよ」 君の震える声はずっと僕の耳に残ってる。 ___ Dead or Alive 「モカ」 ちょうど薬の調合をし終わったとき、イェンが私を呼んだ。 顔をあげると、ここを照らしていた人口の光よりも優しく、 それでいて人が作りえることのできない明るい陽光が部屋を照らしていた。 「開けるのなら、最初に声をかけてよ。 陽光に弱い薬も何種類かここにはあるのだから」 「非合法のくせに、何言ってんだよ」 「ここには法なんて言葉、口にするやついないわ」 イェンは階段を下りてきて、私の調合した薬をぺろりとなめた。 「法がないのに、こんな風邪薬を調合するお前はえらいよ」 「人がいるんだもの。何の用?」 彼は思い出したようにぽん、と手を打った。 「今日、街が死ぬぜ」 私とイェンはここと「向こう側」を隔てる壁に向かって急いだ。 ここは掃き溜め。「向こう側」は楽園。 「向こう側」にはきらびやかな街が広がっている。 私はずっとここで暮らしているから、「向こう側」の暮らしぶりを知らないし それをうらやましいと思ったことはない。 ここは荒廃しているけれど、ここは住みやすい。 たまに聞こえてくる、壁を通しての「向こう側」の音は何か寂しい。 ここの音は、雑多だけれど、寂しくなんかない。 「誰が主導者なの?イェンじゃないよね、ここにいるもの」 「まあな。オレはどっちが死んでもいいけど」 息を切らして、壁にたどり着く。 地響きが、私たちの身体のコアな部分を震わす。 生きた街が、死ぬ。 同時にここも、死ぬかもしれない。 ふとイェンを見ると、彼は私に背中を向けている。 その背中は震えていた。 「泣いているの?」 彼は「向こう側」に生まれたからか。 「いや」 それでもイェンは振り向かない。 「悲しい?」 「いや」 街が、死ぬ。